僕が興味を持っている日本古来の神秘は、今はだいぶ失われているんじゃないかなと思うんです
日本文学界を代表する小説家・浅田次郎さん。インタビュー前編では新刊『完本 神坐す山の物語』に秘められた作家としての原点、そして読書少年を経て作家になるまでのお話を伺いました。
今回の特別インタビュー後編では、『蒼穹の昴』『鉄道員』『地下鉄に乗って』など数々の浅田さんの代表作執筆の裏話や、こだわりのライフスタイルやお住まいについて、そして小説家としてのこれからについてもお話しを伺っていきます。
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【インタビュー前編はこちら】「怖いですよ。御嶽山は怖かった」最新刊『完本 神坐す山の物語』のモデルとなった住まいでの思い出を語る
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エピソードがあってこそ想像力が生まれる。ゼロから小説は生まれません
――浅田さんは幅広いテーマで小説を書かれています。「小説家になるまで様々な職業を経た」と書かれているプロフィールもありますが、その経験がベースになっているのでしょうか
浅田次郎(以下、浅田) これは強調しておきたいんですが、“様々な職業を経て”というのは僕がデビューして『プリズンホテル』の時代に誰かが僕につけたコピーなんです。
自衛官になって、除隊したあと婦人服の営業、職業はそれだけです。アルバイトはいろいろしてますけれども、“様々な職業”についてきたわけじゃないんです。
だいたい、すぐ飽きて職を転々とする人間は小説家にはなれないでしょうね。執念深く、じっと机に向かっているのが平気な、根気のあるやつが小説家になるんですから。
ただ、好奇心は強いですよ。僕は喋るのも好きだけれど、実は人の話を聞くのがもっと好きなんです。担当編集者をはじめ、誰のことでも根掘り葉掘りいろんなことを聞きます。
もともと詮索するのが好きなんです。
僕はいろんな小説を書いているけれども、自分で考えたことよりも、人から聞いた話がものを言っています。
小説は誰でもそうだと思うけれど、作品のベースになるのはもちろん自分の人生です。人の経験と自分の経験、それらをどのように織り込んでいくかが重要なんです。
あと、好奇心に繋がることでは、「嫌いなものを作らない」というのは大事なことですね。これは嫌だって避けるんじゃなく、なんでも好きになる。『地下鉄に乗って』を書いたからといって、別に地下鉄マニアじゃないんですよ僕は。
でも、いいなってちょっと思うことがあったら、「いいなと思うのはどこがいいのか?」と、自分で考えてみる。地下鉄の哲学をするんです。
そうすると、小説の1つや2つ生まれるわけです。父親が新橋駅から地下鉄で出征する、地下鉄の中で捨てられた子どもがいる――そんな話を考えたりするんです。
だから、小説はベースとなるエピソードがあってこそ想像力が生まれます。ゼロからは生まれません。
年間300冊以上は優に読んでいます。書斎は机も床も戦場のごとき様相
――執筆にあたり、資料はかなりお読みになるんでしょうか
浅田 小説を書く時に一番ものを言うのは、自分の中にあるバカバカしい雑学です。
まともな勉強って何ひとつしていませんけど、いろんなものに興味を持って、それに凝って調べて学ぶことはたくさんやりました。そういう意味ではもともとクイズ王だったんですよ。
読書するにも、カテゴリーは決めないで読みます。
そうですね、年間で300冊以上は優に読んでいます。ですから書斎には正体不明の本や、「なんでこれを買ったんだろう」という本がいっぱいあります。
僕の書斎は庭に面した南向きの二間なんですが、書庫が別にあるにもかかわらず、今は机の上も床も本や資料で戦場のごとき様相になっています。
何がどこに置いてあるかわからないような状態なんですけど、本人は大体わかってるから変に片付けられると最悪です。今の状態で触るな、という感じですね。
『鉄道員』は一種の幻想小説。『蒼穹の昴』も実は、中国に行ってないんです
――今年3月、『鉄道員』のロケ地になったJR北海道の幾寅駅が廃駅になったことで話題になりましたが、『鉄道員』は資料を使って書かれて、現地取材はされなかったとか?
浅田 北海道は、夏に競馬だとか馬の競りに行くことはあっても、雪深い冬は知らないんですよ。『鉄道員』は一種の幻想小説であるから、想像だけで書いたのは正解だったかもしれません。
取材して、雪国の生活の厳しさみたいなものを書き込んだら、ああいう小説にはならないんです。
気動車のことなどは資料で調べた記憶があります。うちにキハ(ディーゼル気動車)の運転教本もあります。そういった本で、運転の仕方まで分かる必要はないんです。
分からなくていいけれど、その資料から立ち上る空気を掴むことができるんですね。
同じ頃に書いた『蒼穹の昴』(講談社刊)も、実は中国に行ってないんです。その後はもう数限りなく中国には通ってますけれど、あの時点では中国に行っていません。
今読み返してみるとちょっと日本的なスケールで書いてるなと思うところがしばしばあります。今も続編をずっと書いてるんですけれど、続編は中国に通ってるからちゃんとスケール感があります。そういうところで足を運んだかどうかの違いは出てきますね。
『完本 神坐す山の物語』に関しても、細部に関してはずいぶん資料を揃えてあります。日露戦争の頃の砲兵隊の装備であるとか、演習の状況であるとか、そういうものは別に書きはしませんが資料で頭には入れて書いています。
大前提として、小説は嘘の世界です。小説という嘘の世界を書くためには、その嘘に対しての最低限の責任を持たなきゃならないというのが僕の考え方。だから資料を調べ、現地に行き、人の話を取材し、それぐらいの最低限のことはやっておかないと、嘘をつく資格はないんです。
ルーティンを持つのは歳をとってからでいい。まずは「無駄をなくす時間割」を作るのが大事
――浅田さんのライフスタイルについても伺いたいのですが、日々の生活で大切にしているルールやルーティンなどはありますか
浅田 ずっと昔から早寝早起きなんですけど、新型コロナ以降はちょっと時間割が変わって崩れてきています。
コロナ以前は朝5時に目が覚めるとヨーイドンで書斎に行って、前日の続きを書けた。そして昼過ぎまで執筆して、午後は本を読むという生活サイクルでしたが、最近は朝の時間をだらけて過ごす癖がついてしまったから、今もう1回組み立て直そうとしてるところです。
夜は、御飯を食べたら撮りためたドラマを観て、9時にはもう倒れてます。
人間はもともと昼型ではないかと思いますね、動物として。だから僕は夜に仕事をすることはないです。
うんと忙しくて締め切り前に徹夜で執筆したことはありますが、それ以降はないですね。今はそんな無理もできませんから。
僕は、ルーティンを大切にするのはある程度歳をとってから考えることで、20代30代の人が考えることではないと思います。
がむしゃらに頑張れるだけ頑張るのが若いうちなんじゃないのかな。ルーティンも何も、時間を選り好みしている余裕はないと思いますね。
それよりも、一日の時間の使い方で無駄がどれくらいあるかを考えるのが当たり前じゃないでしょうか。24時間は、8時間✕3に分けられますね。
そのうち寝るのが8時間で働くのが8時間、他のことをするのが8時間。その考え方が基本としてずっと頭にあります。
僕は酒を飲まないんですよ。無駄をなくす生活には、これが大きいと思うんです。酒を飲む人には1日を8時間ずつ3分割して無駄をなくすって方法は通じないでしょう。
問題となるのは、酒を飲んでいる時間よりも酔っ払っている時間なんです。2時間飲んでいたら、プラス2時間や3時間は酔っぱらってる時間があるでしょう。
そこで読み書きは無理ですからね。僕の場合はもうどう考えても、酒飲まないっていうのは時間を有効活用するという点で大きかった。酒を飲まないと暇なくらいです。
多摩丘陵の一戸建に住んで25年。これが辛い。年寄りに優しい住まいは、平面移動できるマンション(笑)
――過去のエッセイで「15歳で実家を出てから20回近くも引っ越した」と書かれていましたが、現在のご自宅はどのくらいお住まいでしょうか。また、今後についてはどのようにお考えでしょう
浅田 自宅は多摩丘陵の山の上にある一戸建てで、もう25年くらい住んでいます。
若い頃は良かったんですよ。「見晴らしがいいな」「風通しがいいな」と思っていたんですけど、山の上ということは坂道があるわけです。
さらに、それに加えて自宅は痛恨の3階がリビングという設計なんですね。今はこれがなかなか辛くなっています。
特にお歳暮とお中元の時期に、宅配便が1日に何回も来ると大変ですよ。頼むから1回で全部持ってきてよと頼みたくなるくらい、ピンポンが鳴るたびにいちいち1階の玄関に行って、重い荷物を担ぎ上げるわけです。この心臓と肺に病を抱えた僕が。
これから家を建てる皆さん方に言っておきますけれど、リビングを3階に設計するのはやめたほうがいいです。
歳をとってリビングに上がるのが辛くなったからといってそれを1階に作り直すといったリフォームや改造はできませんから。水回りから全部となるとまず無理です。
軽井沢にある別荘は平面移動なんですが、こっちは平面を広く作りすぎてしまって移動が大変なんですよね(笑)。
やっぱり年寄りに優しい住まいは、程よい床面積で平面移動できるマンションですね。間違いないです。
多摩丘陵の坂道で毎朝散歩するなんて自殺行為。タバコをやめたように、散歩もやめます(笑)
――これからのライフスタイルについては、どのようなお考えをお持ちですか
浅田 今後のライフスタイルを考えるほどもう若くないんですよ。何にしても72歳ですから。自分でも全く信じがたいです。
固有名詞がパッと出てこないときがありますけど、書く時に不自由はしていません。頭の中で温めている作品もまだたくさんあります。
そういえば以前、インタビューで「古希を迎えたからそろそろ本気出すか」って言ったら誰も笑ってくれなかったんですよ。
最近で一番滑ったギャグだったなあ。編集者がいっぱいいる取材現場で「そろそろ本気出すか」と言ったらどっと沸くかと思いきやシーンと静まってしまった。
とりあえず朝6時25分からは必ずテレビ体操というのをやっています。こういうこと始めるとおじいさんですね。でも作家は体力が基本ですから。
とはいえ、長い散歩はなるべくしないようにしてます。今から筋肉を作ろうっていうより、現状維持をしてできるだけ筋肉は減らさないように。僕は長年の喫煙経験の結果、肺も心臓も痛めてるからきつい散歩なんてもってのほかですよ。
特に多摩丘陵の坂道を毎朝上り下りするなんて自殺行為ですからね。タバコをやめたように、散歩もやめようと思ってます(笑)。
日本的な恐怖そして、「パワースポット」を覗くつもりで『完本 神坐す山の物語』を読んでいただけたら
――健康第一でこれからも読者を魅了する小説を書いていただきたいと思いますが、このインタビューの最後に、浅田さんの原体験を元にした『完本 神坐す山の物語』の読みどころについて読者の皆様にひとことお願いします
浅田 僕が興味を持っている日本古来の神秘は、今はだいぶ失われているんじゃないかなと思うんです。
よくパワースポットと皆さんおっしゃるけれども、実際にパワースポットがどういうものかということが『完本 神坐す山の物語』には書いてあります。
だから、パワースポットを覗くつもりでこの本を読んでいただけたら、とても面白く読めるんじゃないかなと思います。
神様の領域では、パワーをもらえるというポジティブな意味だけじゃなく怖さもあります。神様は祟りますからね。祟る――これは日本固有の言葉のような気がします。
外国の宗教で“神様が祟る”というのはあまり聞いたことがありませんが、日本には大昔からあるんです。
平将門の祟りだとか、菅原道真の祟りだとかね。そういう「日本的な恐怖」というのも、この本で実感できるんじゃないかなと思います。
僕は、最近御嶽山に外国人がたくさん登ってくる理由がわかるような気がしています。海外の方のほうがまだそういう感覚が鋭いから、日本古来の神秘や自然を「わかってくれた」という嬉しさはありますね。
反対に、そんな神秘がすぐ目の前にあるのに気づかなくなった、日本人の考えのほうがわからないですね。ぜひこの本がきっかけになり、気づいてもらえれば嬉しいですね。
(取材・執筆/牛島フミロウ 撮影/本永創太)
取材協力:ARIGATO Living/アリガトリビング 神楽坂スタジオ