私にとって住まいはやっぱり「職」と「住」が近い『便利な場所』

最高視聴率42.9%を記録したNHK連続テレビ小説『ひらり』や『私の青空』、八代目中村芝翫さんが主演した大河ドラマ『毛利元就』など数々の名作ドラマの脚本を手掛け、またエッセイスト、小説家としても第一線で活躍される内館牧子さん。

インタビュー前編では、住まわれて30年になるという現在のご自宅や仕事部屋について、最新エッセイ『女盛りはハラハラ盛り』『女盛りはモヤモヤ盛り』(幻冬舎文庫)でも書かれているこだわりのライフスタイルについて伺います。

ご自宅のある、マンション内の事務所でインタビュー取材を受けてくれた脚本家で作家の内館牧子さん。

なんだか大相撲の尊富士(たけるふじ)みたいだけど(笑)。

──22年間にわたって連載されたエッセイの最終巻となる新著『女盛りはハラハラ盛り』(幻冬舎文庫)が発売になりました。長期連載を走りきられたご感想はいかがでしょう。

内館牧子(以下、内館) 毎週、『週刊朝日』に書いてたんですよ。しかもエッセイを書いているのはここだけじゃく、読売新聞宮城県版や秋田魁新報など5本連載していました。

そこに本職のテレビの脚本や小説も書いていたわけだから、同じことをもう一回やれと言われてもできませんね(笑)。

「よくネタが続きますね」とか「いつも人間観察をしているのか」なんて言われるんですけど、私は人間観察なんてしてないですよ。

人間観察とかマンウォッチングが趣味なんですって人がいるでしょ。私、絶対そんな人と友達になりたくない(笑)。

よく恥ずかしげもなくそういうことを言うなと思うんだけど、趣味がマンウォッチングなんて人には、何をウォッチングされるかわかったもんじゃないから(笑)。

エッセイ集『女盛りはハラハラ盛り』を読んでいただくとわかる通り、人間のことより、その周辺をきっかけにしたテーマがすごく多いんです。人間の周辺にある物事を書いて、そこから「私ならこうするのに」「本当はこうなんじゃないのか」といった展開になっています。

元々はテレビの脚本を書いていたので、テレビで何十年も鍛えられると、イントロはどこから行くべきか、コマーシャルの時に他局にチャンネルを回されないように掴みを入れようとか、構成をすごく気にします。

プロデューサーから「内館さん、この書き方だとコマーシャルで他局に行っちゃって、戻ってこないよ」とずいぶんうるさく言われましたから。

テレビはもちろん、週刊誌や新聞のエッセイはエンターテイメントで純文学ではないから、どんな人にも喜んでもらいたいっていうのがありますよね。なんだか大相撲の尊富士(たけるふじ)みたいだけど(笑)。

事務所の本棚には、1997年のNHK大河ドラマ『毛利元就』の脚本がずらりと並ぶ。

なんとなく私も心優しくなれる。日本的なもの、和のものはすごく大事にしてます。

──エッセイを通して内館さんのライフスタイルが垣間見えます。たとえば、とても「和」を大事にしていらっしゃることとか。

内館 確かに、エッセイからは書き手の暮らしが見えてきますよね。私は日本的なものがすごく好きなんです。

小さい時から大相撲が好きだったし、歌もずっと演歌なんですよ。周りがビートルズだとかプレスリーだとか言ってても、私は何の関心もありませんでした。

演歌の何が好きかって言うと、そこに見える日本の風景です。「雪がちらついてあの人はいない」とか、「着てもらえないセーターを編んでる」とかね、あれが好きなんです。自分で車を運転する時の音楽は相撲甚句(すもうじんく)か演歌ですね。

それに古道具、いわゆる「骨董品」にも魅せられます。日本の古いお皿が、実は西洋料理を盛り付けるとすごくあったりするんです。パスタだとかね。

古道具屋や蚤の市に行って貧乏徳利が置いてあったりすると、『江戸時代に、長屋のおとっつぁんが酒を飲むのに、子供がこの貧乏徳利を持って酒屋に走って、安いお酒を買ったんじゃないかな』とか考えたりする。

古道具にそういう風情や気配を感じると、必要がないのに買っちゃったりする。もちろん安い日用品です。骨董品のお皿なんて自宅に何枚あるかわかりません。友達の実家の蔵にあったものを何十枚も引き取ったり。

私、「和の行事」を全部やるんですよ。例えばお正月であれば、元日のお飾りは当然として、7日には七草粥を作る。七草を刻む時に歌う『七草なずな、唐土の鳥が』って古い歌がありまして、ちゃんとそれを歌いながら七草を切ります。

あと秋には十五夜も十三夜も、重陽の節句で菊を食べるとかっていうのを一応全部やりますね。

和の行事をやるとね、なんだか歳時記と一緒に生きているような気がするんです。歳時記ってすごく心優しい本だから、なんとなく私も心優しくなれる。それがあって、和のものはすごく大事にしてますね。

1992年度下半期に放送され、最高視聴率42.9%を記録した連続テレビ小説(朝ドラ)第48作『ひらり』の脚本も。

朝ドラの『ひらり』はこっちで書いたんじゃないかなあ。

──少し話題を変えまして、内館さんのお住まい遍歴について伺えますか。

内館 私、小学校から東京の大田区なんです。高校生まで大田区で、そのあとで横浜に引っ越しました。大学は東京都郊外にある武蔵野美術大学だから、横浜の家から中央線で国分寺に行って、当時は単線だった西武国分寺線に乗りかえて玉川上水の雑木林を25分歩くと大学に着く。休講で帰ってくると夕方になってるくらい遠かったですね。

大学を卒業して、三菱重工業横浜造船所に入社しました。コネです(笑)。造船所は現在の横浜みなとみらいにありましたから、横浜の実家から通っていましたね。

その後、書く仕事になったわけですが、横浜は今みたいにアクセスが便利じゃなかったですから、出版社やテレビ局から遠いし、東京に戻ろうと考えました。

そうなると馴染みのある大田区が良くて、東急池上線の沿線にずっといました。そのうちにもっと仕事が忙しくなると、池上線沿線より港区の方が便利だなということになり、青山、代官山、赤坂と中心部をいろいろと探したら、現在のマンションが見つかりました。ここに自宅を買って、もう30年ほどになりますね。事務所も移したのは2年くらい前です。

『都合のいい女』(1993年のフジテレビ「木曜劇場」)や『義務と演技』(1996年TBS)は大田区にいた時に書きましたね。大田区も同じマンション内に自宅と仕事部屋を持ってたんです。NHK連続テレビ小説の『ひらり』(1992年)はこっちで書いたんじゃないかなあ。

リフォームメディア「ハピすむ」のインタビュー取材を受ける脚本家・内館牧子さん
大田区にお住まいだった頃のマンション内の仕事部屋のお写真。

藤の花の芽が膨らんできたなとか。それが最近の楽しみ。

内館 家を選ぶ時に気にするのは日当たりです。とにかく『窓がいっぱいあるかどうか』『明るいか』その2つだけでした。

住んでから気づいた良さは、今のマンションは、都心のマンションなのに住民同士がすっごく親しいこと。住民が一緒にご飯に行ったり、煮物をたくさん作りすぎちゃったからと持ってきてくれたりするんです。

私も取材先で買ってきたものをお返ししたりする。大震災の時も、みんな集まって過ごしましたから心強かったですよ。どんな人が住んでいるかってすごく大切なことですから。

──ご自宅でお気に入りの場所はどこでしょうか

内館 仕事部屋に座っているのが一番落ち着きます。自分の居場所って感じがする。

仕事部屋には小さなベランダがついていて、20年前、藤の花の盆栽を頂いたの。世話の仕方もわからないし、枯れた時に鉢に移しかえたらどんどん伸びて。今度は大きな鉢に植えかえたら、成長して花付きがすごいんですよ。それをね、仕事しながら双眼鏡で見るんです(笑)。

週刊誌は週1回、決められた行数で、きちんきちんと原稿を出さなきゃいけない。さらさらって書いてるだろうって思われちゃうんですけど、おそらく連載している皆さんは誰も「さらさら」なんて書いてないと思いますよ。

外に出ればいろんなことに出会うけど、今週はずっと家で原稿を書いていて外出もしてないし、全然書くことがないという時もあるわけです。

そんな時にベランダの外を見たら、双眼鏡でね(笑)、もう藤のつぼみが大きく膨らんでいたりする。そうすると1本書けちゃうっていうことがありますね。

私、野菜を買ってくると全部ハサミで根っこをちょん切って、室内で水栽培してるんですよ。そうすると、ネギからハーブ類から、ちゃんと育つんですよね。大根も葉っぱぐらいは食べられちゃう。そうすると、それでまた1本書いたりして。

だから、ベランダがあると広い庭がなくても、カラスは来るし、虫は来るし、生物と過ごすことは十分できる。ベランダって家選びで大きいポイントじゃないかしら。

みんな仕事場を撮影させてくださいって。でも人が入れる場所じゃない。ごめんなさいね(笑)。

──仕事場にいながら日々の変化が発見できるのは素敵ですね。ご自宅の間取りはどのような感じでしょうか。

内館 自宅は、リビングがあって、仕事部屋があって、寝室があって、打ち合わせ部屋があって、ちょっとした納戸があります。今インタビューしているこの事務所よりはうんと広いですね。

仕事部屋のドアの前には紫式部の版画があります。これは漫画家の黒鉄ヒロシさんの作品です。展覧会に行ったら一目で気に入っちゃったんですね、その場で買いました。仕事部屋には、式部に挨拶をしてから入ります(笑)。

仕事場には机があって、私はパソコンを使わないので、机の上には柔らかくて書きやすい6Bの鉛筆とMONOの消しゴム、電動鉛筆削りが置いてあります。机の下には原稿用紙がありますね。

「内館牧子」と印刷してある200字詰めと400字詰めの原稿用紙で、テレビドラマとエッセイは200字詰めで、作詞と小説は400字詰めで書いてます。

こういうことを言うと、いかにも仕事部屋に来たくなるでしょ。そう言いながら、見せないのよね(笑)。

いろんな人が仕事場を撮影させてくださいって言うんだけれども、とてもじゃないけど人が入れる場所じゃないです。ごめんなさいね(笑)。

「いかにも仕事部屋に来たくなるでしょ。そう言いながら、見せないのよね(笑)。」

私にとって住まいはやっぱり「職」と「住」が近い『便利な場所』

──ご自宅は内館さんにとってどんな場所でしょうか。また理想のお住まいについても教えて下さい。

内館 たぶん、そちらが期待してる回答は“安らぐ場所”とかだと思うんだけど、私はやっぱり『便利な場所』ですね。

どこに行くにも便利な場所。だから、いずれ老人ホームに入るとしても、緑豊かで風光明媚でも、不便なところよりは都会がいいですね。

私にとっての理想の住まいは、まず「マンション」がいい。一戸建てより安全安心です。

横浜の実家は、庭が付いている一戸建てだったんです。父がバラや果樹を植えて、孫たちと庭で花火をしたり。でも一戸建ては手入れが大変だし、それから戸締まりも大変です。

セキュリティの面でもマンションが強いですね。大田区に戻り、住んだ時からマンションが楽だと思ってます。間取りの理想としては、窓やベランダの他には、狭くてもいいから2部屋はほしいですね。

私自身はできるだけ「職」と「住」が近い方がいいんです。今はインターネットがあれば仕事も全部できますから地方に住むのもいいですよね。それは家族形態や個人の好みが大きいんじゃないのかしら。私は今は便利な『都心のマンション』が安らぎます。

そして老人ホームは、東北がいいなと思います。

東北がいいっていうのは、現役が『終わって』しまえば都会の便利さは必要ないわけです。楽しく過ごせて、美味しいものが食べられて、同年代の友達がいる地ですね。なんかあってもセコムがあるから(笑)。今は便利ですよね、セコムの端末を首から下げとけば緊急事態でもOKなわけでしょ。

実は、次のシニア向け小説にそのあたりのことを書いてるんです。主人公は私世代。シニア小説もいよいよ5作目です、ご期待ください。

次回インタビュー後編では、執筆されたシニア向け小説シリーズが大ヒットしている内館さんに、現役が“終わった”後の生き方、ご自身の老後ライフについて伺います。

【インタビュー後編はこちら】「若いうちから老後を考えるのは不健康。老後は90歳から」脚本家・内館牧子さんが語るシニア世代の生き方とは


取材・執筆/牛島フミロウ 撮影/本永創太

脚本家・内館牧子さんの著書・女盛りはハラハラ盛り

内館牧子さんのエッセイ集『女盛りはハラハラ盛り』(幻冬舎文庫)は好評発売中!

22年間にわたって連載された、大人気エッセイシリーズの最終巻! 食事に誘っておきながら2時間遅刻してくるミュージシャンに呆れ果て、ナビダイヤルのAIに憤慨し、はたまた病院で高齢の母に怒鳴り散らす娘に気を揉む……。
ストレスを抱えながらも懸命に生きる人たちへ。痛烈にして軽妙な本音の言葉に勇気づけられる、珠玉のエッセイ集。
脚本家・作家
内館 牧子 うちだて まきこ
秋田県生まれ。武蔵野美術大学卒業。三菱重工業に入社後、13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。主なテレビドラマ作品はNHK大河ドラマ「毛利元就」、朝の連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」など多数。2000年から10年まで女性初の横綱審議委員会審議委員を務め、政府の東日本大震災復興構想会議委員、東京都教育委員会委員など歴任。「終わった人」「すぐ死ぬんだから」「老害の人」などベストセラー著書多数。大相撲について学ぶために、03年、東北大学大学院文学研究科で宗教学を専攻。06年に修了。05年より同大学相撲部監督に就任し、現在は総監督。ノースアジア大、秋田公立美大客員教授。2019年には旭日双光章を受章。
【お住まい周辺】
無料一括最大3社
リフォーム見積もりをする