私は「終活」も「断捨離」も一切しない。若いのに『老後』を考えるのは不健康。老後は90歳からでいい。

脚本家、エッセイストとして活躍する内館牧子さん。近年は執筆されたシニア向け小説シリーズが大ヒットし、シリーズ累計は110万部を突破。テレビドラマ化(NHK・BSプレミアムにて5月よりドラマ「老害の人」が放送)もされました。

インタビュー後編では、そんな内館さんに、現役が「終わった」後のシニア世代の生き方について、そして内館さんご自身の脚本家・作家としての今後についても伺ってみたいと思います。

【インタビュー前編はこちら】「なんだか大相撲の尊富士みたいだけど(笑)」内館牧子さんが30年住む自宅マンションの秘密とは

内館牧子さんの直筆原稿が収められた平成9年のNHK大河ドラマ『毛利元就』の脚本集。

『終わる』年齢に達した男たちの現実を見てきた。いいコースを走ってきたエリートは定年でドーンと落ちる。

――ドラマ化もされている内館さんのシニア小説が大人気ですね。

内館牧子(以下、内館) 今、『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『今度生まれたら』『老害の人』(いずれも講談社)から続く5冊目のシニア小説を書き終えたところです。『終わった人』一作のみで終わるつもりだったので、こんなにシニア向けの小説が読まれるとは自分でも思いませんでした。

三菱重工に勤めていたおかげで、“終わる”という年齢に達した男の人たちが、どんなに切なくて、悲しくて、でも見栄は張りたいかという現実を見てきました。

定年時に、「やっと孫とゆっくり遊べますよ」とか「通勤ラッシュに揉まれなくてすむから天国だ」とか言う人たちばっかりだったんです。

私は若かったので「そんなもんだろうな」って思っていたんですけど、会社を辞めて、自分が 40代50代になった時、「あれは見栄だったんだ」と気が付いて、一冊書こうと思ったんです。

定年退職すると、去年までいっぱい来ていたお歳暮も来なくなっちゃうし、誘いも来ないし、自分は必要とされていないと悲哀を感じている人はいっぱいいるだろうなと思いました。

反対に、奥さんは強いわけです。奥さんは地域のコミュニティーとの接触もあるし、どこかで終わった後の人生を考えている。だけど、エリートで突っ走ってきた男たちは、終わった後のことなんか全然考えてないんです。

小説『終わった人』の主人公は東京大学法学部を出たエリートですが、その設定については読者から「東大法学部卒じゃシンパシーがない。地方の公立高校とか三流大学出の方が良かったのに」っていう意見が、読書カードにもずいぶんあったんです。

でも、主人公は超エリートである必要があった。っていうのは、東大法学部卒だろうが、地方の中卒であろうが、終わっちゃったら着地はみんな一緒なんですよ。むしろ東大法学部じゃない人たちはソフトランディングできるけど、エリートはドーンと落ちる。

真のエリートで、いいコースを走ってきたからこそ終わっちゃうとショックだと思うんです。そんな人が三菱重工にはいっぱいいましたから(笑)。

40歳で脚本家デビュー、一作で消えると言われて35年(笑)。老後を考えるのは90歳からでいい。

――誰しも『終わる』時は必ず来ます。内館さんご自身は “終わる”ということをこれまでに何か考えられたことは?

内館 2008年、私が60歳の時に、盛岡で突然倒れたんですよね。みんなで飲み会の最中だったんです。寒い時期だったんだけど、飲み会の最中にふわっと気持ち悪くなって、「きっとお店の中は暖房が効いてるから暑いんだな。ちょっと廊下に出よう」と思って、廊下に出たら倒れちゃった。

岩手医大の付属病院に担ぎ込まれて、4ヶ月入院して、2回手術を受けました。心臓弁膜症と、動脈疾患ダブルできてたから「もう助からない。9割がた無理だ」って言われていたらしいです。私は一ヶ月間意識不明でしたから、後で知りました。本当に九死に一生っていう言葉通りの生還です。

一ヶ月後に目は覚めたんだけど、体は全く動かないし、顔も動かせない。天井しか見られない状態でした。

自分でも不思議だったんだけど、天井を見ながら思ったんです。「やりたいことをここまでやってきたから、もういいわ」って。海外旅行も行ったし、大相撲の桟敷席も買えて通ったし、仕事もしたし、もう十分だなって。

そんな時、普通は『この状態じゃ家族に迷惑をかける』とか考えると思うんだけど、その最中に、それは考えませんでした。後悔は全然なかったんですね。

私は脚本家デビューが40歳で、それ一作で消えるって思われていたけどもう35年書いてるわけです。

私の40代、50代なんてやりたい放題でした。その年代ってすごく刺激的で、この刺激が一生続くものと思っちゃうんです。続きっこないってことはもちろんわかってるのよ。わかってるんだけれども、あまりに毎日が面白くて、生き生きしててね。これがずっと続くものだって思っちゃう。だけど見事に続かないのよね。

今、「終わった」時にバタバタしたくないという見栄みたいなものはあります。その状態になった時にあがきたくないなァ。とっても野暮なことですよね。

もちろん、年取ってから何かを始めて、そこから人生を切り開いていくっていう人たちも実際にはいます。だけど、それってやっぱり大変なことです。

人生100年と言われている時代ですから、100歳まで長生きするってこともあるわけです。でも、早くから老後の設定に人生をとられる必要はないと思っています。いい年代を存分に楽しまないともったいない。

だから私、老後を考えるのは90歳からでいいと思うの。私にとっては老後は90歳から。決めているの(笑)。

こちらも内館さん直筆の原稿が製本された、平成4年の連続テレビ小説(朝ドラ)『ひらり』の脚本集。

シニア世代には、今まで縁のなかった勉強が大切。そして好奇心。

――「終わった」後の生活スタイルについてどうお考えですか。

内館 まずは状況を冷静に考えなきゃいけないですよね。金銭的に大丈夫か、体力的にどうか。自分の足で歩けるか、杖で歩ける場合はいいけど、車椅子の場合は誰か補助してくれるかとか、そういったダメなことを全部あげていって、できる範囲内で、じゃあ何かをやろうと考えたほうがいいと思います。

とかく有識者は『挑戦しよう』とか『挑戦こそが人生』『挑戦を忘れると老ける』とか言うんですよ。でもね、その多くはまだ高齢ではない人が言ってるの。だから、そんなものを聞くことはない。まず自分の状況をチェックして、その状況の中で何をやるかです。

私自身がやったから思うんだけど、一番いいのは大学に入り直すか、できなければ聴講生になることです。

大相撲を宗教学的に研究したくて、私は54歳で東北大学の大学院に入りました。修了後、神道に対して理解が弱いなと思ったんですね。大相撲には神道と山岳宗教が色濃く影響してますから、やっぱり勉強が必要だなと。それで1年間、国学院大学の聴講生になったんです。

これは面白かった。大してお金はかからないんです。当時の授業料はたしか半期で4万5,000円程度だったと思います。いろんな授業がありますよ。私も、もしできるなら次は天文学をやりたい。星のことって全然知らないし、面白そうだなって。

カルチャースクールももちろんいいです。でも、学校で若い学生の中で今まで縁のなかった勉強をするのも面白いですよ。例えば、「自分は工学部だったけど源氏物語をやりたい」とか、そういうのもあると思うの。近くの大学の方が長続きします。きっと好奇心が満たされると思いますよ。

私はやっぱり便利な都心のマンションがいいですね。80代になったら秋田か盛岡へ。

――老後のお住まいについてはどのようにお考えでしょうか。

内館 今のところは、私はやっぱり便利な都心のマンションがいいですね。そして、もっと老後になって、80代になって『終わったな』と思ったら、秋田か盛岡で暮らそうと思ってます。

盛岡は父の出身地で、秋田は母の出身地。それに私は3歳まで秋田にいたから、東北がいいところだってよくわかる。

だから、歳を取ったら盛岡か秋田の老人ホームあるいはシニアマンションがいいなと思います。こっちよりも費用は安いだろうし、食べ物は美味しい、岩手山や島海山が見える、友達がいっぱいいる。友達がいるかどうかは、老後の重要ポイントですね。

高級老人ホームも取材で行って良さも知ってますけど、どこかで猥雑な現実社会と繋がっている方がいいと思います。

それはボランティアでもいいし、家で何か手仕事をやってそれを配るっていうのでもいいし、施設のバスでいろんなとこに買い物に行ったりするとか、なにかその地域との接触があるほうが力がでますよね。

高級なホームの奥に入ってしまうというのは、私、空しくなってくるんじゃないかと今は勝手に心配しているんです。

今のこの暮らしをギリギリまでして、東京を引き払う時は東北ですね。私の周囲でも故郷に戻った人はすごく多い。

朝ドラ『ひらり』の生原稿。パソコンは使わず、いまでも執筆スタイルは専用の原稿用紙に手書きだという内館牧子さん。

若いうちから老後を考えるのは不健康よ。

――その時期は特に決めておられるわけではない?

内館 勤めているわけじゃないから、定年はないですけど、やっぱり書く場がなくなった時でしょうね。その段階で新しい生活に入ろうと思っています。

私、大学院生の時は仙台に居を移したんですけども、仙台は大都会なの。すごく雰囲気が良くて食べるものも美味しいんだけど、老後に住むんだったらもっと地方色が豊かなところがいい。

だから私、歳を取ったら故郷に帰って新しい人生を始めるっていうのは、誰しもアリだと思いますね。

ただ、その時に妻に一緒に来てもらおうとは思わないことね(笑)。妻には妻の故郷があるから、夫の故郷で暮らしくしたくないかもわからない。故郷に帰る時はね、一人で行った方がいい。妻とは離婚するわけじゃないから、「お前もお前で楽しめよ」と。

大事なのはやっぱり友達ですよね。一緒に飲む人がいないでしょ。たぶん故郷で中学とか高校は出ているだろうから、古い友達もいるんじゃない?

それから、ボランティアでも市の活動でも、やってみれば新しい友達ができるかもわらないから、関心のあることを始めてみる。地方にもいい病院がいっぱいあるし、その点も安心です。私が入院した岩手医科大学付属病院なんて、医療体制は最高でしたよ。

若いうちから老後を考えたり、若いうちに大都会から離れたいとか、それを無理してやっているのなら、私はある種の不健康だと思うの。

あと終活とか断捨離とかも、あまり若い時からするのは、もしやりたくないのに無理しているのなら不健康ですよ。

「私はやっぱり今後の大相撲を占っていたい。ここまで熱海富士(あたみふじ)がスターになっちゃって大丈夫かなとか(笑)。」

『終活』も『断捨離』も、私は一切してません。

――終活や断捨離に対して何か考えられていますか。

内館 終活も断捨離も、私は一切してません。雑誌の記事でも終活特集って多いでしょ、あれを読んでみると、死んだ後に多くの人に迷惑がかからないように前もってやっておくってことですよね。エンディングノートに、「延命治療はやめてくれ」とか、そういったことを前もって書くっていうし、それを遺族に判断させるのはきついとか言われていますよね。その通りだと思います。

でも、死んだ私はわけわかんないんだから、生きている人の自由にしてって弟には言ってあります。

仮に、何億にもなる財産でもがあれば揉める家もあるだろうけど、そんな家は多くないわけだから。だから、全然やってないんです。

だだ、現実にはエンディングノートや遺言があったから、残された人が楽だっていう実例は確かに見てるんです。親しかった編集者が急病で亡くなった時、半年ぐらい前に公証役場できちんと遺言を書いていたんですね。

一人っ子で、土地とか貯金とか保険とか車とか、残すものがすごく多かっただろうから、それをちゃんと立ち会い人の元できちっと遺言にどうするかを書いてあったんです。何か予感があったのかなァ。

でも、私は遺族に「すみません、好きにして」とおまかせです。

終活に時間と労力を費やしてね、私が死んだら葬儀はどこのお寺で、お棺はどこのランクでとか。それを元気なうちに書くより、私はやっぱり今後の大相撲を占っていたい。ここまで熱海富士(あたみふじ)がスターになっちゃって大丈夫かなとか(笑)。

取材・執筆/牛島フミロウ 撮影/本永創太

内館牧子さんのエッセイ・女盛りはモヤモヤ盛り

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懲りもせず失言を繰り返す政治家。知らず知らずのうちに相手を不愉快にさせる不作法者。日本語の方がわかりやすいのに、わざわざカタカナ語を多用する大人たち……。何気ない日常のふとした違和感をすくい上げ、歯に衣着せぬ物言いでズバッと切り込む。
ウイットに富んだ内館節全開でおくる、忖度なしの痛快エッセイ七十五編。
脚本家・作家
内館 牧子 うちだて まきこ
秋田県生まれ。武蔵野美術大学卒業。三菱重工業に入社後、13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。主なテレビドラマ作品はNHK大河ドラマ「毛利元就」、朝の連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」など多数。2000年から10年まで女性初の横綱審議委員会審議委員を務め、政府の東日本大震災復興構想会議委員、東京都教育委員会委員など歴任。「終わった人」「すぐ死ぬんだから」「老害の人」などベストセラー著書多数。大相撲について学ぶために、03年、東北大学大学院文学研究科で宗教学を専攻。06年に修了。05年より同大学相撲部監督に就任し、現在は総監督。ノースアジア大、秋田公立美大客員教授。2019年には旭日双光章を受章。
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