リフォームメディア「ハピすむ」のインタビュー取材を受ける料理愛好家・平野レミさん

口からも目からも、五感で「幸せ」を感じるものって料理しかないでしょ

今回お話しを伺うのは、NHKの料理番組『きょうの料理』や『平野レミの早わざレシピ』での豪快オリジナル料理、牛トマやネギだれなどの絶品レシピでもおなじみの料理愛好家・平野レミさん。

インタビュー前編では、レミさんのこだわりが詰まった特注のキッチンについて、そしてご主人でイラストレーターだった和田誠さんとの出会い、結婚を機に渋谷区にご自宅を建てられ、理想の住まいに出会うまでのレミさんらしい驚きのエピソードの数々を伺いました。

私は自由にのびのび育てられてね。もう最高のお父さんとお母さんでしたね

「わたしは歌手になるんだ」って床の間に上がって歌った。あれが私の初舞台(笑)

──レミさんは、これまでどんなお家で暮らしてきたのか、お住まい遍歴を是非教えてください

平野レミ(以下、平野) 私は東京で生まれたんだけど、小さい頃に千葉県の松戸に来ちゃったから生まれた家は全然覚えてないのよ。

松戸の家は日本家屋で300坪の庭があって、あづま屋があって、温室があって、それから父の書斎があって、茶室もありました。

居間には囲炉裏があって魚の形をした自在鉤があって、一段一段ぜんぶ違う木を使った本棚もあった。父がすごくこだわった家でしたよ。トイレの壁も、細い竹を組み合わせて作ってあったりね。

でも友達が来るのが恥ずかしくってしょうがなかったの。友達はみんな普通のお家に住んでるけど、私の家はみんなみたいに白い壁がないんだもの。

木の皮なのよ。父の部屋は、毛筆で漢字が書いてある和紙を壁に貼ってあったし。

和室には、床の間があって、近所の子を集めて「わたしは歌手になるんだ」って床の間に上がって歌をうたったり。あれが私の初舞台(笑)。

当時はガキ大将だったから、みんなを率いて森に遊びに行ったり、かくれんぼしたり。迷子になったこともあったなぁ。松戸の家は最高でしたね。

フランス文学者だったうちの父(平野威馬雄さん)は、ハーフだから顔は外国人なんだけど、京都が大好きでアメリカ嫌い。同級生のお父さんは、家に遊びに行くとソファで新聞読んでむすっとしてるけど、うちの父は友だちと遊んでると絶対に入ってくる。

みんなと喋って、面白い話をいっぱいしてくれて、みんな「おじさん大好きだった」って言ってたわね。

いいお父さんとお母さんでね、私は自由にのびのび育てられてね。もう最高のお父さんとお母さんでしたね。この松戸の家には結婚するまでずっといたの。

和田さんのところに遊びに行ってるうちに好きになっちゃって、出会って10日で結婚しちゃったの(笑)
和田さんのところに遊びに行ってるうちに好きになっちゃって、出会って10日で結婚しちゃったの(笑)

小さい頃から「こんな家があったらいいな」って夢がいっぱい!

──1972年にイラストレーターの和田誠さんとご結婚されました。その当時のお住まいは?

平野 私にはね、小さい時から「こんな家があったらいいな」っていう夢がいっぱいあったの。理想の家の図面を描くのが大好きで、庭があって、居間があって、客間があって、床の間があって、椅子があって……とかね。

建物も好きだし、庭とか植物が大好きだから、庭には葉っぱがあって、大木があって、他にもこういうのがあったらいいなって想像しながら描いてたのね。

「住むなら絶対に庭と緑や葉っぱのある一戸建てがいい」と思ってたから、「大きな庭があるお寺の人と結婚しようかな。でも、お寺は幽霊が出たら怖いな」って子どもの頃は思ってたの(笑)。

なかなか大きな庭を持ってる人っていない。「やっぱり結婚する人はお坊さんしかいないのかな…」と思いを巡らせてたくらい。

和田さんと知り合ったのはTBSアナウンサーだった久米宏さんとラジオの仕事をしてる頃。和田さんのところに遊びに行ってるうちに好きになっちゃって、「初めまして」と出会ってから10日で結婚しちゃったの(笑)。

「やっぱりこんなところに住めない!」和田さんには悪いことしちゃった(笑)

結婚して、青山にあった和田さんのマンションで暮らしはじめて「楽しい」とは思っていたんだけど、子どもができて、ここには住めないなと思った。

松戸に比べると空気が悪いの。朝起きると家の中がベトッとするみたいで気持ちが悪くてさ。それに緑や葉っぱのある家じゃなかったら、子どもがかわいそうでしょ。

それで、和田さんが静岡県の三島に土地を買ったのね。富士山が目の前にドーンと見えるのよ。

家の設計もして、富士山が見えるようにバーンと窓が開けられるようにして。家の模型もできてたんだけど、冬に見に行ったら、山から吹いてくる富士颪(ふじおろし)がものすごく寒い。

「やっぱりこんなところに住めない!」ってなって、三島に住むのはやめて青山に戻って別のマンションに住んだんだけど、やっぱりビルばっかりで嫌だって思っちゃったの。

もう本当に和田さんには悪いことしちゃったなって思ってますね(笑)。

和田さんが「子どもが遊んでいる様子を見ながら料理できるように、レミの好きなところにキッチンを作っていいよ」って(写真remy提供)

庭が見える南向きの一番いい場所にキッチンを作ったの

──現在のご自宅とは、どんな出会いだったのでしょうか?

平野 知人にいい土地があると紹介してもらって見に行ったの。でも、その土地は小さくて、周りにも家が建ち並んでて嫌だなと思ったんだけど、道すがら見つけた土地がすごく気に入って、聞いてもらったら売地だったの。

それで和田さんがその売地を買ってくれたの!わがまま言って悪かったなぁ和田さんに(笑)。でも、和田さんは私に何にも文句を言わないの。「わがまま言うな」とか、一度も口にしなかった。本当に優しい人だった。

その土地は120坪あったんだけど、和田さんは「広くて恥ずかしいから半分くらいでいい」って言うのよ。でも、私は「広いほうがいいから」って(笑)。やっぱり松戸の300坪の実家が私の原風景だからね。

越して来た当時はとっても静かだった。品の良いおじいさんとおばあさんが杖を持ってゆっくり歩いていてて、鳥が鳴いていて、今と違って若い世代の人もあんまりいなかったね。のどかでしたよ。

でも、近所にスーパーマーケットもあったし、特に不便を感じたことはなかったな。

自宅は建築家の渡辺武信さんに設計してもらったんだけど、和田さんが「子どもが小さいから、外で遊んでいる様子を見ながら料理できるように、レミの好きなところにキッチンを作っていいよ」って言うから、庭が見える南向きの一番いい場所にキッチンを作ったの。

だから、夕方までずっとお天道様が照ってるから暖房もいらないのよ。

家の設計をする中で一番重視したのはやっぱり「キッチン」ね。

ガスレンジが一段低くなるように台をセット。これは料理の時に力を入れやすくするため。とっても使いやすいですよ(写真remy提供)

「使いやすさ」「料理のしやすい」を全部盛り込んで作ってもらった特注キッチン”

──キッチンはレミさんのこだわりが満載の特注品なんですね

平野 1978年に家を建てた当初はね、ドイツ製の「システムキッチン」だったのね。カウンターの上を全部耐熱にして、熱いやかんやお鍋をどこに置いても大丈夫なように特注したの。

あと、その頃のシステムキッチンって、シンクの下は両観音開きドアだったけど、私はそこを引き出しにしてくれって言ったの。

今は当たり前だけど、当時でそんな注文をしたのは私が一番最初だったんだって。

でも、そのドイツ製のシステムキッチンは木でできてて木目なんだけど、キッチンが茶色だと夕方になると台所全体が暗くなっちゃって、私も暗い気持ちになっちゃうから嫌だなって思ったの。

それで、できてから1年後くらいでそれを全部やめちゃって、ヤマハの真っ白なシステムキッチンに取り替えたのよ(笑)。

私が「こうしたら使いやすい」「料理がしやすい」「片付けがラクにできる」というのを全部盛り込んで作ってもらいました。

他の人に取られちゃったの!特許取っておけば良かったなぁ(笑)

シンクの横の作業スペースを斜めに作って、お魚をさばいた時とかさっと水で洗って流せるようにしたんだけど、特許を他の人に取られちゃったの!

ある人から「特許取って構いませんか」と訊かれて、そんなの私何も知らないもんだから「どうぞ」って言っちゃって。特許取っておけば良かったなぁ(笑)。

あとは照明!料理する時に手元が暗くならないように照明をつけたの。

料理する時に手元を照らすために、「ここにはこういう電球、ここはこういう灯り」という感じで。キッチン全体をキレイに見せる必要はないから、あくまでも料理がしやすいように配置したのね。

あとはガスレンジが一段低くなるように台をセットしてる。これは、料理の時に力を入れやすくするため。とっても使いやすいですよ。

あとはオーブンの排気を逃がすために、専用の吸い取り排気をつけてます。鶏肉とか焼いた時に、換気扇まで排気がいかないから、ほら、焼肉屋さんにあるみたいな吸い取ってくれる排気口があるでしょ?ああいうのをオーブン専用につけたの。スイッチを押すと吸い取ってくれるのよ。

私は掃除派じゃなくて「料理派」。だから食器棚は、食器がぐっちゃぐちゃなの(笑)

もったりしてるの大嫌いお料理は「スピーディー」にやりたいの!

──レミさんのアイデアがたくさん詰まった、とても使い勝手がいい理想的なキッチンですね

平野 私は掃除派じゃなくて「料理派」だから、掃除が苦手なの。やっぱり、物をいっぱい置いてあるとその分掃除もめんどくさいじゃない。

だから食器棚は、食器がぐっちゃぐちゃなの(笑)。

食器棚の扉がガラスだったら中が見えるから、友達が「キッチン見せて」って言ってきた時に片付けないといけないでしょ。だから全部鏡にしちゃった。

そうしたら鏡に庭が反射して映り込んで、まるで裏庭ができたみたいなの。臭いものに蓋をしたら、思いがけず綺麗で、しかもキッチンがすごく広く見えて、倍の楽しみ方ができたのよ。

それから調味料入れの棚にはシャッターをつけたの。すぐに調理ができなきゃ嫌だから、調味料には蓋をしてなくて、そのまま入ってるの。

シャッターが蓋代わりで、必要な時にバッと出せるし、料理が終わったら閉めちゃう。

私、もったりしてるの大嫌いだから、お料理は「スピーディー」にやりたいのね。それにお客さんが来るってなったら、シャッターを閉めちゃえばいちいち片付けなくてもOK。

使わない時は扉を閉めれば全部真っ白の綺麗なキッチンになるの。これも便利でいいでしょう?

小さい頃からいつも「理想の家」を想像して図面を描いていたから、こういうキッチンにしたいなっていう原型がもうあったのね。

住まいで一番のお気に入りはやっぱり「キッチン」

──レミさんが自宅で一番お気に入りの場所はやっぱり…

平野 もちろん「キッチン」ですね!キッチンで過ごす時間が一番多いです。

特に新しい料理のレシピをいっぱい作っている時なんかもう楽しくて楽しくて、家族みんなが寝ちゃっても、私はずっと台所に入って料理を作ってましたね。本当に料理するのが楽しくって。

だって料理って、何にもないところから、食材を組み合わせることによって全然違うものができるの。こんな楽しいことないじゃないですか。

絵は目から、音楽は耳から幸せを感じるけども、鼻からも口からも目からも、五感で幸せを感じるものって料理しかないでしょ。

理想のご自宅と最高のキッチンを手に入れた平野レミさん。次回後編では、料理愛好家であるレミさんの原点やご自宅での知られざるレミさんのエピソードをお伺いします。

【インタビュー後編はこちら】「家が大好き。自宅は『わたし』自身ですね」平野レミさんの家族の絆が深まる「ベロシップ」教育とは

取材・執筆/牛島フミロウ 撮影/本永創太

リフォームメディア「ハピすむ」のインタビュー取材を受ける料理愛好家・平野レミさん

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料理愛好家・シャンソン歌手
平野レミ ひらの れみ
東京都出身。フランス文学者・平野威馬雄の長女。文化学院在学中にシャンソン歌手デビュー。TBSラジオ出演を経てタレントとして活動。72年、イラストレーターの和田誠と結婚。主婦として家庭料理を作り続けた経験を生かし、「料理愛好家」の肩書きで数々の料理番組に出演。"シェフ料理" ではなく"シュフ料理"をモットーに、テレビ、雑誌などを通じて数々のアイデア料理を発信。また、元気印の講演会、エッ セイを通じて、明るく元気なライフスタイルを提案するほか、特産物を使った料理で全国の町おこしなどにも参加し、好評を得る。レミパンやジップロン(オリジナルのエプロン)などのキッチングッズの開発も行っている。料理関連の書籍も多数出版し著書 50 冊以上。22年にはエッセ イ『おいしい子育て』(ポプラ社)が第9回料理レシピ本大賞エッセイ賞を受賞。
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