世田谷区は「多元的コミュニティ」が新たな展開を生み出すまち
住宅についての支援制度、市民の理想の暮らしについて考え、自治体の取り組みを取材するインタビュー企画『リーダーズインタビュー』。
第8回は、サブカル・演劇・音楽などカルチャーの街・下北沢や都心へのアクセスが良く下町のような情緒ある街・三軒茶屋などの「文化の街」を有し、人口は92万人という巨大住宅都市でもある東京都世田谷区。子どもや高齢者、そしてそれを支える人に寄り添った政策を多く打ち出し、地域福祉の「世田谷モデル」を確立してきた保坂展人区長に、世田谷区の子育て支援、そして住まいや暮らしの政策について詳しくお話しを聴いた。
目次
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92万人が生活する個性の異なるまちの連合体“世田谷区”保坂展人区長にインタビュー!
──世田谷区はどういうまちですか? 住みやすさ、暮らしやすさの観点からお聞かせください。
世田谷区の人口は92万人。実は100万人近くが住んでいる非常に大きな住宅都市なんです。
都心に近くて交通の便がいいため、昭和初期から各私鉄沿線の駅を中心に市街地や商店街が形成されてきました。
特徴的なのは、三軒茶屋、二子玉川、下北沢、烏山といった“個性の異なるまちが相互に交流しながら連合体”を形成しているところ。
それぞれ比較的静かな住宅街でありつつ、毎週末どこかしらで伝統的なお祭りやフリーマーケットなどのような地域イベントも行われています。
──地域毎の住民活動が盛んなのですね。
学校関連の催しなどは全国のどこでも行われていると思いますが、世田谷区の場合、まちごとの温度感といいますか、お子さんがいらっしゃる方もそうでない方もほどよい距離感でさまざまな地域コミュニティ活動に参加されています。
最近、“居場所”という言葉をよく耳にしますが、例えば認知症のご本人やご家族が、気軽に医療や福祉の専門職に相談したり、地域の方と交流したりすることができる「認知症カフェ」なども様々な団体によって運営されています。
また、40年以上前に欧州の「冒険遊び場」をヒントに地域住民が始めた「プレーパーク」(「羽根木」「世田谷」「駒沢はらっぱ」「烏山」の4カ所)は、普通の公園ではありえない自由な遊びを通じて子どもたちの自ら育とうという意欲を育む地域の遊び場として、いまでは幼児からシニアまで幅広い世代に愛されています。
前例のないまったく新しいデザインのまちづくり
──数年前から大きな話題になっている下北沢の変貌ぶりについてお聞かせください。これまでの再開発とはまったくタイプの異なる斬新なまちが誕生しましたね。
東京都が2003年に小田急線の地下化を決定して昔ながらの商店街に道路を通す再開発を始めようとした時、住民の間でさまざまなカルチャーが混じり合っておもちゃ箱をひっくり返したような下北沢のまちの魅力が失われてしまうんじゃないかという反対派の方と、一方、狭い路地が入り組んだままの状態では災害時に密集した市街地に消防車が入れないという不安を訴える賛成派の方の対立があったんです。
そんなさなかに私が区長に当選。下北沢のまちづくりの舵取りは大きなテーマでした。
そこで世田谷区は、周辺住民や開発事業者である小田急電鉄の三者で数百回に及ぶ話し合いを重ねて合意を形成しながら再開発を進めました。
その結果、鉄道会社が手がける再開発といえば、まず駅の上に商業ビルを建てて全国チェーンのテナント、場所によってはブランドショップが集中して出店するといった、つまり、地域の特性を無視したパターン化されたまちづくりがこれまで行われてきたわけですが、下北沢ではエッジの効いた、他の地域では前例のないまったく新しいデザインのまちづくりに挑んでみようということになったんです。
私がいちばん気に入っているのは、かつて下北沢には緑がとても少なかったのですが、「下北線路街」には誰もが自由に過ごせる原っぱがあって、木々や花やハーブ類などの緑であふれてるんですよ。
そこで晴れた日には保育園児たちがトンボやバッタや蝶々を追いかけている。そしてそんな原っぱの傍にハーブティーを出すお店ができて憩いの場になっている。
これはすべて、賛成か反対か対立するだけでなく、どういうまちを作りたいかを住民同士が話し合い、さらに行政と住民と事業者が時間をかけて対話を積み重ねた結果なんです。対立から対話への変化。それが一緒に新しいまちをつくりだしたんですね。
下北線路街とは
「下北沢」駅に隣設する「世田谷代田」駅から「東北沢」駅までの地下化によって出来た全長約1.7kmの線路跡地「下北線路街」には、商業施設、私立保育園、温泉旅館、ホテル、広場、アートギャラリー等の主要13施設が設置されている。
京王井の頭線の高架下にも個性あふれる飲食店、ショップ、文化施設が軒を連ね、これまで以上の賑わいを見せている。
「セーフティネット」としての世田谷区の住宅施策
──世田谷区は東京都内でも屈指の住宅街をいくつも抱えていますが、これまでの住宅施策について聞かせてください。
まず、私が国会議員の頃の話になりますが、リーマンショックによる派遣切りの際、ホームレス状態に追い込まれた人たちのセーフティネットとして雇用促進住宅を活用すべきだと提案しました。
そもそも雇用促進住宅は雇用保険によって成り立った住宅ですから、それが当たり前だと考えたんです。
その結果、当時、国が推進していた公営住宅の売却は一時見送られ、生活困窮者の住宅として役立てられたことがあったんです。
──そういったセーフティネットとしての住宅施策を世田谷区でも行ってきたのでしょうか?
それ以前から世田谷区では国の補助制度を活用して供給を促進する「せたがやの家」という公的な住宅を整備していました。
元々は農地も多かったので、その土地のオーナーが旧住宅金融公庫、旧住宅・都市整備公団、東京都等の制度を活用して建設した住宅を、管理者である一般財団法人世田谷トラストまちづくりが一括して20年間借り上げ、中堅所得ファミリー層、住宅に困窮している高齢者世帯等を対象に賃貸していたんです。
ただ、立地条件上、駅から少し遠いという難点があって慢性的に空室が多く、そこで家賃をさらに4万円割引いて主に子育て世代へアピールしたところ、一時は200戸近くもあった空室が順次埋まったんですよ。
残念ながら、「せたがやの家」は当初の20年借り上げの期間を過ぎて、現在は同じ制度を展開できていないのですが、偶然の一致なのか、国土交通省がその後に整備したセーフティネット住宅制度にも、高齢者障害者児童養護施設などを出た若者も含めて申し込んだ場合、国や自治体の負担で家賃を4万円割り引くという内容が盛り込まれているんです。
“待機児童数日本一”から“待機児童ゼロ”へ「子ども・子育て応援都市宣言」
──かつて待機児童数が全国でもっとも多く、保育園探しの激戦区といわれていた世田谷区が一転して「待機児童ゼロ」を達成できた経緯をお聞かせください。
私が区長に就任した平成23年の時点で688人だった保育待機児童が平成26年に1,000人を超え、平成28年にはついに1,198人と過去最多となっていました。
これは少子化が進む中、保育園を作ってもこの先立ち行かなくなるとの見込みから、東京ではビルの一室などでできる認証保育所を中心に設置する流れになっていたこととも関係していて、世田谷区でも認証保育園は増えていたんです。
しかし、保護者からすれば子どもが育つ環境を第一に考えた場合、園庭のある認可保育所に入所させたいとなる。そこに大きなギャップがあったわけです。
そこで区では私立認可保育園を中心に施設整備を進め、平成25年からの10年間で私立保育園の数を65園から約3倍の203園まで拡大。
保育園の量的拡大を進める一方、保育の質の維持・向上を掲げ、全国に先駆けて保育の基本的指針となる「世田谷区保育の質ガイドライン」を定めたほか、区が必ず保育園の開園を希望する事業者の審査を行い、一定の水準を満たした事業者のみ開園していただくという方法を取ってきたんです。
子どもたちを地域のみんなで育てていく
──さきほど区長がおっしゃったように、認可保育所を設置するには厳しい基準をクリアすることと同時に広い敷地も必要になります。そのための用地取得はどのように進められたのでしょうか?
東日本大震災の後、復興財源の捻出のために国有地の売却方針が示されました。
その際に国と直接交渉し、国有地を国から借り受けて保育園事業者へ転貸する仕組みを作り上げたんです。
一方、世田谷の良さは落ち着きのある住宅地という点にあり、自宅の隣に保育園が建設されてしまうと静かな生活が送れなくなるという反対意見もありました。
しかし、私は子どもの声を騒音と捉える都市環境にこそ問題があると思いました。
そこで平成27年、「子どもが地域の宝。区民と力をあわせて、子どもと子育てにあたたかい地域社会をつくろう」という思いを区民の皆さんに訴え、「子ども・子育て応援都市宣言」を打ち出しました。
次の社会を支える若い世代を育てるのは私たちの務めなのだと。そうした子育て支援の施策を進めた結果、令和2年4月になって保育待機児童ゼロを実現することができたんです。
“保育士&介護人材” 住宅支援制度が2大人材不足解消の切り札
──保育園を増やすには年々不足が深刻化している保育士を確保しなければなりません。その難題はどのようにしてクリアしたのでしょうか?
世田谷区は早い時期から、保育の運営者がマンションやアパートを借り切って寮として活用した場合、1人につき8万2000円まで住宅支援を行っていました。
内訳は事業者が8分の1、国と都と区が8分の7。つまり8万2000円の家賃の部屋なら保育士として働くスタッフの負担はゼロ。
つまり給料が8万2000円上がったのと同じことになるわけです。
──家賃の負担が軽減される上に勤務地にも近いとなれば経済面だけでなく時間的にも余裕が生まれ、人材確保だけでなくサービスへの好循環も期待できますね。
例えば埼玉から都内に通っていた方なら1日の自由時間が2時間くらい増えるかもしれません。
実は、この住宅支援制度は高齢者施設で働く介護士にも適用されて成果を上げているんですが、今年の4月からは申請していただけば人材が不足している地域包括支援センターのスタッフにもご利用いただけることになりました。
住まい支援をしっかり行うことで働き手を確保していくというのは、これからもっと求められる政策だと考えていますし、その延長線上には少子化対策も視野に入ってきています。
子育て世代への住まい支援=少子化対策
──働き手の確保のための住まい支援の先に少子化対策を見据えているとのことですが、もう少し詳しくお聞かせください。
いま、世田谷区で夫婦が1人の子どもを育てようとすると2DKの賃貸住宅で月額16万円くらい必要になります。
もし、2人目が生まれればもう1部屋必要になってくるわけですが、そうなると家賃が一気に約10万円ほど上がってしまう。とても払えないということで郊外へ引っ越すケースが多いんです。
あるいはそれ以前に経済的な条件が見通せないんで子どもを諦めてる方たちも少なくない。そういう現状も把握できていますので、今、公営住宅などを活用した若者支援住宅というものができないかと考えているところです。
世田谷区の子育て世代への住まい支援
(住宅補助などの住居への経済支援)
・ひとり親世帯家賃低廉化補助事業
18歳未満の子どもを養育するひとり親世帯が、区内の民間賃貸住宅(制度の対象住宅に限る)に転居する場合に、区が賃貸人(家主等)に家賃の一部を補助することで、入居者の家賃負担額が減額になる制度
・お部屋探しサポート
住宅確保要配慮者(高齢者、障害者、ひとり親世帯など)を対象に、民間賃貸住宅の空き室情報を提供する事業
・保証会社紹介制度
保証人がいないため賃貸借契約が困難な方が、区と協定を締結した保証会社を利用できる制度で、初回利用に限り保証料の一部を助成
・子育て支援マンション認証制度
子育てしやすい住環境を備えたマンションの整備を促進するため、ハード・ソフトの両面から子育てに取組む民間マンションを認証する制度
困った時に相談できる世田谷区でありたい
──世田谷区の65歳以上の高齢者は188,167人(東京23区中1位/令和6年1月1日時点)。高齢化率(高齢者人口/総人口)は20.5%(23区中13位)と伺っています。現在、高齢者に対してはどのような福祉支援公共サービスが行われているのでしょうか。
高齢化率は全国平均より低く、もちろん個人差はありますが80歳を超えてもスポーツを楽しまれている元気な方もいらっしゃいます。
そういった活動的な高齢者の方々からは、同じ趣味などを持つ仲間づくりが出来る場や居場所が欲しいという声が多く寄せられています。そこで区としては孤立防止の観点からも、高齢者が気軽に訪れ、寛ぎ、話しができる場づくりを進めています。
反対にコロナ禍の3年の間に足腰が弱った方、健康に不安を抱えている高齢者が適切なデイケアサービスやリハビリなどを迅速に受けられるよう、地域包括支援センターと社会福祉協議会がまちづくりセンターと同じ建物で連携する「福祉の相談窓口」を区内28カ所にくまなく設置してます。
そこへ行けば、例えば介護保険を使える状態かどうかの判断をワンストップで受けられますし、また、難病や知的障害のあるお子さんについての相談などもできて、区の専門部署とすぐに連係できる仕組みを構築しています。
その結果、さまざまな福祉のお悩みに関して、どこへ相談したらいいかわからないという区民からの苦情はなくなりつつあります。
──最後に、保坂区長の思い描く理想のまちづくりについてお聞かせください。
これからの時代、年齢も性別も国籍もおかれている状況も異なるさまざまな人々が、語り合い、励まし合い、困ったときには相談し合えるという関係性がますます重要になってきます。
そんな多元的なコミュニティが自由自在に新たな展開を生み出し続ける。そういうまちを私はつくっていきたいと思っています。
※2024年取材時点の情報です。
(取材・執筆/木村光一 撮影/高木航平)