休日という概念はない。休日はつまらない(笑)。「住まい」は仕事さえできればいい。こだわりなんてない。
現役最高齢ジャーナリストの田原総一朗さん。テレビ局員時代は数多のドキュメンタリー番組を制作し、フリーランスになって以降は書き手として200冊以上の本を執筆。さらに司会進行を務めるテレビ番組(『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』等)はこれまで世論や政治にも大きな影響を与えてきました。インタビュー後編では、その舞台裏の驚きのエピソード、90歳のいま思うこと、住まいやプライベート空間での過ごし方まで語っていただきました。
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【インタビュー前編はこちら】「90歳の現役ジャーナリスト。もうそれだけで面白いでしょう」『敗戦』の絶望と『報道』の原点とは
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テレビは放送が始まってしまえば『やったもん勝ち』そこが面白い
──テレビ局に勤務していた頃、田原さんは活字メディアに対し、正直なところどんな思いを抱いていたのでしょうか?
田原総一朗(以下、田原) 活字だけじゃない、僕はあらゆるメディアに対してコンプレックスの塊でしたよ。
なにしろNHK、朝日新聞、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)、フジテレビ、東京放送(現在のTBS)、大阪毎日放送、北海道放送、ラジオ関東(現在のラジオ日本)、東京新聞といったマスコミの採用試験を受けて全部落ちたんだから(笑)。
したがって、コンプレックスの塊である僕は使ってくれるならメディアはなんでもよかった。その代わり遠慮はしない。やりたいようにやった。
──テレビと活字。自由度はどちらが高いのですか?
田原 活字は印刷される前に会社の上層部のチェックが入る。そういう意味で言えば、テレビの生番組は放送が始まってしまえばやったもん勝ち。そこが面白いんですよ。
『朝まで生テレビ!』は逸脱や反則も許されるプロレス
──1987年に放送が始まって現在も続く長寿番組『朝まで生テレビ!』は、いつ、どんな意見の衝突やハプニングが起きるか楽しみで、それこそ朝まで目が離せませんでした。
田原 当時、テレビの深夜番組はほとんど再放送だったんですよ。フジテレビが『オールナイトフジ』という素人の女子大生が大勢出演する番組を朝まで生放送したらそれが当たった。そこでテレビ朝日も何かやろうということになった。
ただし、深夜放送は制作費をかけられないから有名タレントは出せない。おまけに夜中の中途半端な時間に番組を終わらせると出演者や関係者をタクシーで帰さなきゃいけないから交通費がかかってしまう。だから、そうならないように始発電車が動き出すまでやるしかない。とにかく制約だらけだった。
──それらの制約を逆手にとって、毎回のテーマに関係する当事者、評論家、文化人、政治家といったパネリストによる討論番組というフォーマットが作られたんですね。
田原 『朝生』で渡辺宜嗣アナウンサーとともに総合司会をしてくれた長野智子さんがこう言ってた。「『朝生』はプロレスに似ている」。指摘されて、そうかと納得した。
僕の討論番組はたしかにプロレスみたいだった。構成があり、ハプニングがあり、エンターテインメントがある。僕はパネリストたちのバトルを裁くレフェリー。プロレスでは逸脱や反則も5カウント以内なら許される。そのあたりの匙加減を巧みに演出に活用すればバトルはよりヒートアップする。
そもそもテレビは戦後の力道山のプロレスを契機にして一気に普及した歴史がある。ある意味、テレビとプロレスは二人三脚。そのプロレスに似ている『朝生』が面白くならないはずがなかった。
もっと言えば深夜にチャンネルを合わせてもらうためには誰もが驚くテーマを取り上げなければならない。それも刺激の強さで視聴者の興味を惹くプロレスと同じだった。
『朝生』は戦後最大のタブーに踏み込んだ。それが高視聴率の源だった
──37年の長きにわたり繰り広げられてきた『朝まで生テレビ!』の激論の中で、とくに思い出深いテーマがあればお聞かせください。
田原 ありすぎてなかなか選べないけど、やっぱりいちばんは「天皇の戦争責任」かな。本来なら、戦後、天皇は裁判にかけられて戦争の責任を問われなければならなかった。
ところが、連合国軍最高司令官のマッカーサーが日本の共産主義化を恐れて天皇の責任をうやむやにして象徴という存在にしてしまった。
つまりね、日本の憲法というのは、アメリカが自国の利益と天皇を守るために作られたわけ。そういう経緯があるから、長い間、メディアも日本社会も天皇について言及するのを避けてきた。
『朝まで生テレビ!』はその戦後最大のタブーに踏み込んだから大反響を呼んだ。深夜番組でありながら異例の高視聴率をあげたことで『朝生』はやりたいことができるようになった。それまでテレビが取り上げなかった数々のタブーを議論の俎上に載せることが可能になったんですよ。
「諦めずにタブーを追及し続ける。本当のことが知りたい。」それだけです
──駆け足ではありますが、時系列に沿ってお話を伺って、ようやく田原さんがやりたかったこと、90歳を迎えたいまでも生番組をやめられない理由がわかったような気がします。
田原 僕がさまざまな手段を使って権力を批判し続けてきたのは本当のことが知りたいから。それだけですよ。
諦めずにタブーを追及したから電通や政界や経済界の中枢にいる人たちとも直接話ができるようになった。僕が自民党批判をするのも憎いからじゃない。自民党に良くなってほしいんですよ。彼らもそれはわかってくれている。
それに社会に解決困難な問題があればあるほど逆に面白い。
なぜ、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた日本経済がいまだに活性化できずにいるのか。なぜ、日本では男女差別がなくならないのか。安全保障の問題、地球環境の問題。次々に好奇心が頭をもたげてきて頑張ろうというエネルギーが湧いてくる。
サムエル・ウルマンの有名な詩「青春」にはこんな一節があるんですよ。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。(中略)20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む」
僕もそう思いますね。
朝8時半に起きて、夜12時に寝るまで、毎日3〜4組、食事以外の時間はほとんど人と会ってる
──田原さんの著作『全身ジャーナリスト』を拝読して「ジャーナリストはプライバシーがない方がいい」というフレーズがとても印象に残りました。最近、YouTubeで日常生活の模様まで公開されていますが、それも権力側に付け入る隙を与えないための自己防衛なのでしょうか?
田原 とくに意図はないんだけどね。僕のプライベートといっても、朝起きてポーチドエッグを作って、散歩して、それから出掛けて行って人に会う。それを繰り返してるだけだから。
──日常生活においてルーティーンのようなものはないんですか?
田原 そのときしている仕事にもよるけど、夜は12時くらいに寝て、朝は8時半に起きて新聞に目を通す。朝日、毎日、日経、産経、読売、東京、赤旗の7紙。そうやってつねに情報をインプットする。テレビも視ます。
それで「この人、面白いな」という発言をしている人がいたら連絡を入れて会いに行く。
──田原さんの方からアプローチして直接会われているのは政治家や財界人だけではないんですか?
田原 僕は知りたいと思ったこと、興味を持ったことがあれば、それについて詳しい研究者、文化人、政治のことなら官邸の中枢にいる政府関係者、野党の政治家、市民運動家といった人たちに直接話を聞きに行く。だいたい毎日3〜4組かな、食事以外の時間はほとんど人と会ってます。
政治家に関しては与党も野党も向こうから会いたいと申し込んでくるケースもある。そうやって、いまの岸田総理も含め、歴代の内閣総理大臣とも語り合ってきた。
とにかく、僕は誰かが発信した情報を鵜呑みにしたくない。1次情報に幅広く直に接する。それがジャーナリストとしての僕の流儀なんです。
「田原総一朗をお金で籠絡するのは無理」田中角栄の100万円も、野中広務の1千万も突き返した
──歴代の首相といえば、『全身ジャーナリスト』には田中角栄から分厚い封筒を渡されたという生々しいエピソードも書かれていましたね。
田原 細かい経緯は本に書いたので説明しませんが、封筒には100万円入ってた。そんなものをもらったらジャーナリスト失格。書くべきことが書けなくなってしまうと思ってすぐに秘書の早坂茂三さんに返しに行ったら「おやじが怒るよ。明日から永田町の取材をできなくなるぞ」と言われてね。
2日後に早坂さんから電話がかかってきて「田原君、おやじが返却をオーケーしたよ」と聞いたときは胸を撫で下ろしたんですよ。あのとき、田中角栄が怒っていたらいまごろ僕はどうなっていたか…。
小渕恵三内閣の末期、自民党幹事長代理だった野中広務さんからお茶の誘いがあって、そこに現れた着物の女性に紙袋を渡されたこともあった。
こちらの中身は1000万円。もちろん事務所に返しに行きました。そのことを10年くらいして野中さんが内閣官房機密費のエピソードとして講演で話してくれた、おかげで、僕が田中角栄からも野中広務からも金を受け取らなかったことが政治家たちの間に知れ渡った。
それからはもう、政界では「田原をお金で籠絡するのは無理、ならば誠心誠意、取材に応えるしかない」となったので余計な心配をすることもなくなった。ジャーナリストは、つねに身ぎれいにしておくことが肝心だというのはそういうことです。
酒もタバコもやらない。休日という概念はない。休日はつまらない(笑)。
──お話を伺っていると、どうも生活と仕事の間に境界がないような印象を受けます。まったく仕事のことを考えない時間はないのでしょうか?
田原 ない。だって仕事のことを考えてるのがいちばん面白いから。僕は趣味と言えることが何もない。酒もタバコも体質に合わない。全然いい気持ちにならないんですよ。
──ひょっとして休日という概念すらない?
田原 ないですね。休日はつまらないもの(笑)。
──以前、テレビ番組で田原さんの仕事場の様子を拝見したんですが、本と書類が隙間なく堆く積み上げられまるでジャングルのようでした。それでも、「どこにどんな資料があるのかわかっている」とコメントされてましたが、本当にすべて把握されているんですか?
田原 はっきりはわからない。大体はわかってるつもりなんだけど忘れちゃう(笑)。
最近は読書量も減ってるけど、それでも月に10冊から20冊、年間にすると200冊くらい増え続けてるから、年に1回くらい整理しても一向に片付かない。
だから仕事はそのつど空いたスペースを見つけてやってます。
──そのカオス状態の仕事場とご自宅が一緒だと伺っていますが、田原さんはご自分が生活している住まいはこうあってほしいという願望はありますか?
田原 夜は電気が点いて水道の蛇口を捻って水が出ればそれで十分。仕事場にしているリビングの隣には寝る場所もあるし、騒がしくなければ原稿はどこでも集中して書ける。
大体、いままで自分で住まいを選んだことがない。いつも亡くなった女房が選んでたんです。
元々、仕事をしている時間がいちばん楽しい。だから、住まいも仕事さえできればそれでいい。べつにこだわりはないですね。
『朝まで生テレビ!』の放送中に死ねれば本望。現役のまま生を全うしたい
──4年前ほど前、『90歳まで働く』という著作を書かれていましたね。今春、現役のままその90歳を迎えられた田原さんの次なる目標をお聞かせください。
田原 やっぱり死ぬまで働くことですよ。基本的に僕は前世も後世も信じてないので、生きている限りは精一杯頑張ろうと思ってます。
──何か具体的に進行中の目標があるのでしょうか?
田原 いま、ライフワークとして力を入れているのが「クオータ制」の実現。これは選挙候補者の一定比率を女性に割り当てる制度で、僕はこの制度導入を目指す超党派の女性議員の会を座長としてサポートしています。
事務局長は2003年から2011年まで『朝生』の総合司会をしていた長野智子さん。月に1回、彼女が中心になって開かれているフルオープンの勉強会は、ジェンダーギャップへの社会的関心の高まりもあって、最近ではメディアの取材も増えてきています。
とにかく、どんな分野でも女性の比率が増えないのは、男性が自分たちの既得権益を失うのを恐れているから。いますぐ一般企業に導入するのは難しくても、少なくとも政治家には強制的にクオータ制を導入すべきだというのが僕の持論です。
──最後に、田原さんのこれからの夢をお聞かせください。
田原 『朝生』の生放送中に死ぬこと。番組が無事に終わって、「おつかれさま」とみんなのあいさつが済んでも僕だけ席を立たない。スタッフが声をかけると眠るように死んでいた。そんなふうに現役のまま生を全うできたら本望。それ以上に、素晴らしい幕引きはないんじゃないかな。
(取材・執筆/木村光一 撮影/加藤春日)
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舌鋒の衰えないスーパー老人が世に問う遺言的オーラルヒストリー。その貪欲すぎる「知りたい、聞きたい、伝えたい」魂はどこからくるのか。
いまだから明かせる、あの政治事件の真相、重要人物の素顔、社会問題の裏側、マスコミの課題を、自身の激動の半生とともに語り尽くす。
これからの日本のあり方を見据えるうえでも欠かせない一冊!