住まいのリフォームサイト「ハピすむ」のインタビュー取材を受ける歌舞伎俳優・坂東玉三郎

舞台で大役を務めている間 私にとって「住まい」は心と体の限界を見極める大切な場所

坂東玉三郎さんは歌舞伎界を代表する最高峰の女方にして、重要無形文化財保持者(人間国宝)。その伝統芸能の枠を超えた多岐にわたる活躍は世界から賞賛されています。

今回は歌舞伎俳優ならではの「住まい」に対するこだわりや知られざる日々の鍛錬をテーマに語っていただきました。

都内で行われたコンサート公演後に、凛々しいスーツ姿でインタビュー取材に答えてくれた坂東玉三郎さん。

マンションでの1人暮らし 気分転換は掃除と洗濯

──はじめに、玉三郎さんのご自宅の遍歴からお聞かせください。

坂東玉三郎(以下、玉三郎) 生まれ育った家、守田の養父(14代目 守田勘弥)の家、それから高輪のマンションと、1年前に引っ越した現在の自宅で4軒目になります。

──住み替えのご経験があまり多くないというのは意外です。

玉三郎 はい。私の実家と養父の家は広い1軒家でしたけど、私自身は家を建てたことはなくてずっとマンション住まいなんです。

──ご実家は料亭でしたね。

玉三郎 待合でしたからあっちこっちにたくさん部屋があって、広間や舞台もあったんです。

──幼少の頃からそういった環境で生活をされてきたのだとすると、はじめて1人住まいをされたときは窮屈な思いや不安があったんじゃないですか?

玉三郎 ええ、自分には絶対1人暮らしはできないと思ってました。守田の家からマンションへ引っ越したその日も、はたして1人でいられるかどうか不安で、親しい友達にお願いして来てもらったんですよ。ところが夜になってもなんともないから「もう大丈夫だから帰ってもいいよ」って(笑)。自分でもびっくりしました。

──案外、1人でいることに抵抗はなかったんですね。そういえば玉三郎さんは家の外に出るのが嫌いで幼稚園も1日でやめてしまったと伺っています。

玉三郎 大勢で同じことをさせられるのがまったく苦手でしたね。本当は小学校も行きたくなかったんですけど「義務教育だから」と親に説得されまして。私の母親は子供が相手でも大人と同じように接するという方針だったんです。

なので、話を聞きながら子供心にそれは絶対必要なことなんだろうと渋々納得しました。けれど、毎日早退きしたくてしょうがなかった。実の父母と一緒の頃は上げ膳据え膳のわがまま放題でしたから(笑)。

──早く大人になって自由気ままな1人暮らしをしたいという願望はなかったんですか?

玉三郎 お恥ずかしい話、私、これまで親以外と一緒に暮らしたことがないんですよ。結局、親が他界してからはずっと1人暮らしです。

──普段、家にいるときは掃除や洗濯・料理はどうされてるんでしょう?

玉三郎 私は、汚れたものがその辺に無造作に置いてあるのが嫌いで。誰かが部屋に来て一緒にくつろいだあと、みんな帰ってから1人で洗い物をしたり洗濯したりしてます。料理はあまり得意じゃなくて鍋くらいしかできないんですけど洗濯とか掃除は好きですね。

ほら、やればやるだけ目に見えて綺麗になってすっきりするでしょう。そうすると仕事から離れられて気が紛れるんですよ。

意外にも日頃の気分転換は「掃除と洗濯」という玉三郎さん。

何も気を遣わずにいられる、自宅という空間が最高の癒し

──つまり、裏を返せば仕事の緊張が家に帰ってもなかなか抜けないということですね。とくに歌舞伎はひとつの公演が1カ月のうち3週間から25日。残りの日も稽古ですから、つねに大役を演じられてきた玉三郎さんにかかる精神的肉体的な重圧は計り知れないものだったと思います。舞台が切れ目なく続く間、いったいどのようにしてコンディションを保っておられたのでしょうか?

玉三郎 とにかく、劇場から自宅に戻ったら何も気を遣わないで過ごせるよう心がけてます。だからリビングにはコンフォータブルなソファと絨毯があればそれでいいんです。

そこで寝転んだり体操したり、明日の準備ができるスペースが欲しいのでテーブルもあまり必要としてないんです。

──歌舞伎俳優の皆さんは家に立派な稽古場を備えているイメージなのですが、マンションの場合、稽古はどうなさっているんですか?

玉三郎 私の場合、稽古場は分けてます。まあ、それでもリビングの絨毯を上げればそこで踊りの手のおさらいくらいはやれるようにしてあります。だから場所をとるテーブルも置いていないんです。

──プライベートな空間と稽古場を意識的に区別されてるんですね。

玉三郎 そうですね。気持ちを切り替える意味でも稽古の場所は変えた方がいいですね。稽古場に行ったらできるのに、自宅だとできないことっていっぱいあるし、それにいつでもできると思っていると、結局やらなくなってしまう。もちろん、どうしてもやらなければならないことはやりますけどね…(笑)。

──最近は1日にどれくらい稽古をされているんですか?

玉三郎 50歳を過ぎてからは、とくに意識して何かを自分に課すことはなくなりました。

ただそのときやるべきことをしっかりやる。いまはそういうことよりも自分の体と相談しながらの柔軟体操を重視してます。夜は必ずストレッチやマッサージをして、固くなったところを隅々までほぐしてから寝るようにしてます。

──役柄やご自分の体調に合わせたストレッチのノウハウを確立されてるんですね。

玉三郎 はい。演劇やダンスでは舞台に立つ前にストレッチの準備運動をやるのが常識とされてきたんですけど、最近になってアメリカの研究で、夜、その日使って縮んだ筋肉を伸ばしてから寝た方が疲れもとれるし関節も柔らかく保たれるという報告が出ているんです。

60歳を過ぎてから変わったライフスタイル

──それにしても幕が開いたら何があっても休むことの許されない主役はつらいですね。 

玉三郎 ですから私の場合、昼寝も含めて必ず8時間以上寝るようにしてます。7時間しか睡眠時間がとれなかった日は必ず30分くらいの昼寝をしますね。6時間で仕事しなきゃならないときも合間を見つけてできるだけ眠る。そうしてないと頭がクリアにならないんです。

──とはいえ昼夜公演があるときはなかなか8時間の睡眠の確保は難しいのでは?

玉三郎 自宅に帰ったらすぐ寝られるようにあらかじめ準備もしてましたし、昼と夜の公演の間はひたすら寝てました。

──睡眠をとるのにもストイックな努力をされてたんですね。

玉三郎 そんな状態でしたから、さすがに60歳を過ぎてからは昼夜公演はやらなくなりました。

──お話を伺って仕事の上で睡眠を重要視されていたことがよく理解できましたが、公演は全国で行われますし、とくに玉三郎さんは海外に招かれることも多かったので人一倍ご苦労されたのではないでしょうか?

玉三郎 はい。ホテルに泊まるときが大変で。私にとっては贅沢な家具なんかよりそれがマストな条件なんですよ。ありがたいことにうちのスタッフは事前に照明の明るさや空調の音まで細かくチェックしてくれるので本当に助かってます。

──玉三郎さんは真っ暗にしないと眠れない派ですか?

玉三郎 絶対に真っ暗でないと駄目ですね。時計とかいろんな機械のLEDの小さい光も全部覆って目に入らないようにしてます。朝、太陽の光が入ってくるのもダメで、自分がカーテンを開けるまでは真っ暗な状態にしていたいんです。

でも、1人暮らしでしょう、それはそれで「部屋の鍵を閉めて真っ暗にして耳栓をして寝ている間に何かあったらどうするんですか」って心配してくださる方もいるんですけどね。

──そんなときはどう答えられているんですか?

玉三郎「大丈夫。無事に死ぬから助けに来ないで。それで死ねたらもういいんだから」って、若いときからそう言い続けてるんですよ(笑)。

──明かりの他に注意されていることは?

玉三郎 温度ですね。夜、暑くて冷房をつけたとしても同時に床暖房も弱く効かせてます。私たち歌舞伎俳優の仕事は下半身を冷やしてはいけませんから、そこは1年中注意してますね。

「実は自分でもわからないんです。若いときからずっとやってきちゃったという感じで考えたこともなくて」

過酷な歌舞伎俳優の仕事。自分の体と対話して限界を見極める

──歌舞伎の方に一度お聞きしたいと思っていたのですが、女形の衣装とカツラを合わせると総重量が40キロになることもあると聞いています。それを一つの公演(約1カ月)でずっと身に付けて演じ続けるというのは相当体力的にもきつかったと思うのですが。そういうフィジカル面でのスタミナみたいなものはどうやって養われていたんでしょうか?

玉三郎 実は自分でもわからないんです。若いときからずっとやってきちゃったという感じで考えたこともなくて。

強いていうならちゃんと食べるようにしてたことでしょうか。年齢を重ねてからは穀類を減らしておかずをきっちり食べるように心がけてますし、野菜も熱を加えたもの、肉も食べるようにしてます。

あとは養殖ものをやめて自然のものを摂るとか有機野菜にするとか。結局、しっかり食べられて、しっかり眠れればいつまでも働いていられるんですよ。

──確かにおっしゃる通りです。人間は眠れなくなったり食べられなくなったときに心身を病んでしまう。

玉三郎 幼い頃から舞台に立ってるでしょう、だから私はこれ以上無理だなというときはわかる。逆に周りからもう無理だろうと言われても、自分でやれると感じてるときはできちゃうんです。

──自分の感覚で限界がわかると。

玉三郎 野茂英雄(元メジャーリーガー)さんと話したとき、彼が「自分の体と対話する」という言い方をされてたんですが、その言葉、すごくよくわかるんです。

──つねに限界点を見つめているトップアスリートの領域ですね。歌舞伎俳優として女形を演じられていた4代目中村雀右衛門さんはかなり高齢になるまで筋トレをされて役に臨まれてましたね。

玉三郎 私は筋トレしたことがないんです。その代わり、いまはもうやっていませんがスクワットで足腰は鍛えていました。ゆっくり、ゆっくり30回。ゆっくりやるスクワットはけっこうきついんですよ。

それと、いちばん効果的だったのは大役の前に衣装を身につけて稽古することでしょうか。40キロもある衣装は重くて手では持てないけど、着れば立てるし歩けるし…軸を使って動くんですね。

──体の中心軸、体幹の力のようなものでしょうか?

玉三郎 そうだと思います。でも中心軸で自分の体を操作しているから斜めの姿勢はとれないんです。

──なるほどバランスを取るのが難しいんですね。絢爛豪華な舞台の上で歌舞伎俳優はそういう目に見えない奥義も駆使して観客を魅了しているんですね。

玉三郎 あの姿勢を保てるようになればどんなに重たい衣装を着ても大丈夫だと思います。武士が鎧を身に付けるのと同じなんですかね。 

【インタビュー後編はこちら】 「自由に満ちているのが、わたしの住まい」坂東玉三郎さんの自宅のこだわりとこれからの人生の夢とは

取材・執筆/木村光一 撮影/本永創太

人間国宝・歌舞伎俳優
坂東 玉三郎 ばんどう たまさぶろう
1957年12月東横ホール『寺子屋』の小太郎で坂東喜の字を名のり初舞台。1964年6月14代目守田勘弥の養子となり、歌舞伎座『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名。泉鏡花の唯美的な世界の舞台化にも意欲的で、代表作の『天守物語』をはじめ数々の優れた舞台を創りあげてきた。若くしてニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招聘されて『鷺娘』を踊って絶賛されたのをはじめ、アンジェイ・ワイダやダニエル・シュミット、ヨーヨー・マなど世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開し、国際的に活躍。映画監督としても独自の映像美を創造。2012年9月に、歌舞伎女方として5人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、また2013年にはフランス芸術文化章最高章「コマンドゥール」を受章した。 2014年紫綬褒章、2016年日本芸術院賞・恩賜賞、2018年松尾芸能賞・大賞 2019年岩谷時子賞、2019年高松宮殿下記念世界文化賞、2019年文化功労者認定、2019年日本藝術院会員など
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