住まいのリフォームサイト「ハピすむ」のインタビュー取材を受ける益子町・広田茂十郎町長

一緒に学びながら、皆さんが心豊かに、人間として成長していく『優しい街ましこ』

住まいの支援制度、移住を含めた理想の暮らしについて考え、自治体の取り組みを取材するインタ ビュー企画『リーダーズ・インタビュー』。

第12回は「益子焼」の産地として知られる栃木県益子町。 広田町長に、土のぬくもりと伝統を感じさせる益子町の魅力、そして子育て支援などのまちの施策について詳しくお話を聴いた。

人口2万人の益子町は、250の窯元がある「陶芸のまち」!

──益子町はどんなまちですか。

益子町はご覧のように里山が広がる自然が豊かなまちです。一番有名なのは「陶芸のまち」というところでしょう。益子焼は江戸時代後期から始まり、現在250の窯元があります。益子のメインストリート城内坂通りには50軒の販売店がズラリと並んで壮観ですよ。

イベントとしては、春と秋の年2回開催される「益子陶器市」があります。24年4月の陶器市は10日間の開催期間中に41万2千人の人出で賑わいました。

陶器市は毎年、年間60万人の方にお越しいただいている益子最大のイベントです。

──まちにはお洒落なカフェが多い印象があります。

個性豊かなカフェが50店ほどあります。ご夫婦で焼き物をやりながらその器でコーヒーを淹れるというような、陶芸のまちらしいカフェもその2割ぐらいあります。

益子町は人口2万人ほどの小さな町ですが、カフェの割合としては多い方ではないでしょうか。

美味しいパン屋さん、人気のとんかつや蕎麦屋さんもありますし、食についても注目されているまちでもあります。

益子の「土」と文化・伝統。一期一会(いちごいちえ)の出会い

──「益子・土のガストロノミー」という企画を拝見しました。

観光協会と観光地域づくり法人「ましこラボ」と一緒に、〝器のまち〟と〝食のまち〟のコラボができないかと。益子のまちづくりを目指すうえで、こうした方向性もあると考えています。益子の土から生まれた伝統の益子焼、食文化もそうですが、益子は農業も盛んで、米や麦はもちろん、果物はリンゴやブルーベリー、ナシ、ブドウ、イチゴ、観光農園はそれこそ〝一期一会(いちごいちえ)〟で大勢のお客さんで賑わっています(笑)。

最近はバナナやマンゴー、パイナップルなどの農園もできています。益子の土と文化、伝統や知恵がつくりだした地元の食をテーマに、益子をもっと好きになっていただくプロジェクトを行っています。

※ガストロノミー=食事と文化の関係を考察すること。美食学

──窯業は全国的に担い手不足とお聞きしますが。

やはり益子焼も陶芸家は減少傾向にあります。ピーク時には400軒以上の窯元があり、100億円を売り上げる一大産業でしたが、今ではその1/5の20億円ほどに減少しています。

経済規模の縮小から担い手不足という悪循環はありますが、しかしそういう中でも、栃木県の窯業技術支援センター(益子町)で行われている後継者育成事業には、常に定員20名を超える応募があります。

町としても、今後はその若い陶芸家の皆さんが焼き物を生業にしていけるように、作陶支援や作業場の提供などのバックアップをしています。

藍染めや革製品、木工などもある「手仕事のまち」

──職人のまち=クラフトタウンというまちづくりでしょうか。

益子町は昔からの藍染めや革製品、木工など、陶芸以外の手仕事も盛んなんですよ。ただ、クラフトタウンというはっきりとしたコンセプトがあるわけではないですが、やはり実際にやられている職 人さんが多いですから、手仕事のまちとしてイメージしやすいということはあるでしょう。

移住や定住を考えられる方も、自然とそういうイメージを持たれていらっしゃる方もいらっしゃいます。

そういった文化や風土的なものでいえば、先ほど申し上げた果物もそうですが、益子で農業をやりたいと希望される方も多いんですよ。

「道の駅ましこ」と地ビール。そして〝半農半X〟の生活

──農業といえば「道の駅ましこ」は随分賑わってましたよ。

「道の駅ましこ」は県内でも種類の多さはでトップクラスですし、普段見ないような野菜が安価で並んでいます。

田野地区という町内南端の農業が盛んな地区にあるんですが、その地区には高齢者サロンがないんですよ。皆さん野菜づくりが忙しくて行く暇がないと。

私自身も農業をやっていたのもあってよく行くんですが、お爺ちゃんお婆ちゃんが納品した後、道の駅の休憩所で飲み物を飲んだりしながら談笑していらっしゃいますよ。

──理想的なサロンになっているんですね。やはり農業はまちづくりの大きなポイントでしょうか。

益子町では「ましこ農の学校」というのをはじめて、今年で3年目になります。町の農業の担い手の育成と移住・定住の促進を目的に、野菜の栽培技術を実習や座学で学びながら、益子の文化を体感してもらおうというものです。

これまで22組の方が参加しました。皆さん、農業のある暮らしをしたいと希望されている方ばかりです。町の考え方としては〝半農半X〟。つまり何かをやりながら、農業を生業にしてもらえれば、と。

たとえば、主婦の方でも野菜作りに取り組めるわけです。こちらが大変好評で、これをきっかけに移住した人もいらっしゃいますし、地ビールづくりに取り組んでいる方も。そのうち益子の地ビールが飲める日も近いと思います。

栃木県内でも初の「保育料無料化」。他にも子育て世帯の家賃補助も

──移住・定住では子育て政策が手厚いですね。

0歳から3歳までの保育料無料化は県内初です。特徴的なものとしては「ましこ育脳プログラム」という取り組みを行っています。

これは子供たちの成長に合わせて段階的に効果的な接し方を、地域ぐるみで学んでいこうというもので、子育て世代だけではなく、お爺ちゃんやお婆ちゃんも一緒に学びながら、皆さんが心豊かに健康的に生活し、人間として成長していく、いわば〝人財〟育成を目標にしています。

第3期ましこ未来計画では「子どもを育てたいまち」「住みたいまち」「仕事のあるまち」の三本柱にしています。子育て政策は「子育て応援手当」や、第二子からの副食費免除、子育て世帯の家賃補助など、できるところから進めてきました。

県の方でも2024年秋から第二子からの保育料無償化(0~2歳)が始まる見込みで、近隣の自治体間競争になりがちなところが緩和されて、包括的な取り組みになっていくことが予想されます。

子育て世帯も増加中。「選ばれるまち」への向け教育環境も充実

──どういう施策が好評ですか。

小学校就学前(年長児)、中学校入学前(小学6年生)のほか、高等学校等入学前の年(中学3年生)の子供たちがいる家庭に、ましこスマイル通貨を支給しています。やはり物入りですから好評です。

ですが「選ばれるまち」であるためには、こうした経済的な支援とは別に、教育環境の充実も考えていく必要があるでしょう。

これは平成29年度のことですが、それまで年間150人ぐらい出生数が一気に115人にまで減少したことがあり、大変ショックを受けたんですね。

益子もいよいよか、と。それからさらに減少傾向が進んでいくんですが、当時の子供たちが小学校に入学する時になると134人に増えていたんですね。驚きましたよ。

そういう意味では各種政策にも一定の効果はあったのではないかと受け止めています。これからは、そういうご家庭が、安心してずっと住んでいただけるようなまちに。そこが今後の子育て政策に対する益子町の考え方です。

人口減社会でも、益子には250万人の交流人口

──これからの益子町のビジョンを是非教えてください。

全国的な人口減社会の中にあって自治体間競争に陥っているところには大いに疑問はあるんですが、そういう中でも益子には250万人の交流人口があります。

それを300万、400万を目指して増やしていきたいと思っています。

同時に関係人口を一過性のものにせず、その関係を深めていく必要があります。関係人口を増やし、益子を好きになってくれる人も増やす。言ってみれば益子を第二のふるさとにしてくれる人を増やす。

そういう動きの中で多くの人に益子に住みたいと思ってもらえればいいですね。

先日、移住していただいたブルーベリー農家の方がこう言って下さったんですよ。全国の自治体を何十カ所も訪ねて一番良かったのが益子だったと。職員が親身になって土地を探してくれたと。そういうところだと思うんですよ。

移住定住策を進めるうえで、住民の皆さんに親身になって寄り添える益子町でありたいと思っています。

豊かな自然と「益子焼」の伝統を有する栃木県益子町

関東平野を北上して2時間半、北から連なる八溝山地(やみぞさんち)のふもとに位置する益子町は、里山の裾野にゆったりと広がるどこか懐かしい時間の流れるまちだ。

年間平均気温14.5℃。梅雨時の降水量は栃木県で最も少ない。夏は雷の発生が多く、寒暖差の激しい冬には乾燥した空っ風(からっかぜ)が吹く。積雪は年に数回と少ないが、スタッドレスタイヤは必須だという。

四季折々の表情を見せる里山のまちに2万705人(7912世帯)が暮らしている(令和6年7月現在)。何といっても世界的にも有名な益子焼で知られるが、文化庁が提唱する日本遺産の分類では、「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ”焼き物語”~」として認定されている。

というのも、益子焼は、茨城県笠間市の笠間焼と同じルーツを持っているからだ。

八溝山地鶏足山(けいそくさん)塊の山々を挟んで隣り合う益子町と笠間市は、古代から人々が暮らし、とりわけ須恵器(すえき)づくりに必要な粘土や水、燃料の木材に恵まれたエリアだった。

益子町の北方に位置する七井地区には、小貝川の支流・小宅川に沿う形で古墳時代後期(6世紀ごろ)の築造とみられる小宅古墳群があり、中心地区の益子エリアにも8~10世紀頃の古代窯跡が見つかっている。

その出土品は笠間市から見つかった出土品と共通した技法がみられ、同じ技術圏にあったことが分かっている。

古代の作陶技術は長い間、双方とも失われていたが、江戸時代中期に信楽の陶工を招いて笠間焼がはじまると、江戸末期にその技法を受け継いで益子焼が生まれた。元々文化圏と歴史を一にし、同じ土、同じ水、同じ木材を使っているのだから当然だが、東日本屈指の窯業地としての「かさましこ」はいわば兄弟のような関係なのである。

民藝運動100年が育んだ「フランクでウェルカム」な益子の風土

益子焼がその名を高めたのは、昭和初期に日本中を席巻した民藝運動による。「民芸」の語源ともなった民藝運動とは、手仕事によって生み出された日常づかいの雑器にこそ美が宿るという思想で、運動を牽引した立役者のひとりで人間国宝の濱田庄司(1894-1978)が1924(大正13)年に益子町に移住し、作陶を始めたことで益子焼の名が知られるようになった。

濱田は英国人陶芸家のバーナード・リーチと親交を深め、芸術家村として知られる英コーン・ウォール州セント・アイヴスに築窯して研鑽を積んだ。

こうして素朴ながら職人気質と高い芸術性を持つ益子焼は、世界でもその名を知られるようになったのである。

なお民藝運動から100年以上を経た今も、セント・アイヴスと益子町は姉妹都市の関係にあり、陶芸家同士の交流も盛んに行われている。

1960年代になると民芸ブームは社会現象となり、益子町にも全国から観光客が押し寄せた。

同時に陶芸を志す若者が数多く訪れるようになり、窯元の設立を歓迎し受け入れる益子の土地柄もあり、地元出身に加え他地域からの転入者によって窯元数も飛躍的に増加し、益子焼の小売店も増えていった。

益子焼の中興の祖となった濱田庄司は神奈川県高津村(現・川崎市)出身で、沖縄をはじめ全国をまわった末に益子を選んだ。

つまり、創作に最適な環境を益子に見出したということである。そこには、フランクでウェルカムな益子の風土も関係しているようにみえる。

「健康寿命」が高いまち、益子町

益子町は首都圏からは車、電車、バスのどの交通手段を用いても、2時間半から3時間。決してアクセスがいいとは言えないが、真岡市に隣接する芳賀郡(益子町、茂木町、市貝町、芳賀町)の交通網は、車移動であればまったくストレスがない。

近隣市町には大きな商業施設はないものの、宇都宮へは車で20~30分という立地から、大きな買い物やレジャーは大規模商業施設が密集するインターパークやベルモールを利用するのが主流という。

公共交通としては、少子高齢化、人口減少に対応するため、〝人口カバー率100%の公共交通〟として、高齢者や子育て世代、小学生を対象にしたデマンドタクシー(乗り合いタクシー)「ひまわり号」の運行を、2012(平成24)年から開始している。

ただし、デマンドタクシーはあくまでも健常者用だ。障害者福祉に対しては福祉タクシーやタクシー券の補助などを行っているが、高い需要にこたえる形でスタートさせたのが、真岡市の芳賀赤十字病院まで、ワンコイン=500円で行けるようにしたことだ。

地域公共交通は市町村が独自で行っているため、他の自治体を行き来することができない。そのため、真岡鐡道利用促進事業を利用して、益子町内のデマンドタクシー=300円、真岡鐡道利用券=100円、真岡市内のコミュニティバス「いちごバス」=100円という料金を実現したのだ。益子町の高齢化率は33%(2023年)。

もともと健康寿命が高いまちではあるが、こうした高齢者福祉の環境づくりにおいては本来は柔軟性が求められるところではある。移動スーパーの取り組みも、ひとつの有効な取り組みであると考えられる。

「子育て応援手当」「18歳までの医療費無償化」益子町の子育て支援を解説!

益子町の子育て支援は、かなり手厚いといえる。

まず、「子育て応援手当」。これまでは、18歳まで一律1万円分の地域通貨『ましこスマイル通貨』を支給していたが、2024(令和6)年度から支給対象者・支給額を見直し、小学校就学前(3万円分)、中学校入学前(5万円分)、高等学校入学前年(同)と節目に大幅に増額。新生活の準備に役立つ実用的な補助といえよう。

保育料無償化については、0~3歳までのすべての子どもの保育料を無償化。3~5歳の子どもの保育料は、国の制度により無償化されている、さらに栃木県は第二子についても、0~2歳の保育料を無償化する方針で、これにより複数の子供を育てやすい環境づくりを経済面からサポートする。

また、紙おむつ等購入助成費(24000円分)や、チャイルドシート等購入費補助金制度(限度額1万円)など、さまざまなニーズに対応した支援を用意している。

18歳までの医療費は無料。医療機関での病児・病後児保育サービスもある。

これまで未整備だった図書館は、27年度中の開館を目指して整備計画を進めている。機能重視の観点からソフトとしての運営にも注目されており、地域振興や子育て支援だけでなく、さまざまな地域課題に応えていく施設になるという。

「空き家バンク」に「移住支援金」も!移住・定住支援も充実

移住・定住政策としては、当初は災害や防犯の必要性からはじめた「空き家バンク」は、スタートした2016(平成28)年から数えて登録件数164件。そのうち成約は106件(令和5年度末時点)に達している。

移住支援金(東京圏からの移住で単身60万円、世帯100万円交付、18歳未満の子ども1人につき100万円加算)や若年子育て世帯家賃補助(実質家賃の1/2・上限2万円)などの経済的支援も用意している。

移住希望者には、その検討段階やニーズに対応したサービスがある。まず「おためし住宅」。これは用意した一軒家に実際に一定期間住んでもらい、益子の暮らしを体験してもらおうというもの。生活しながら空き家や仕事を探すこともできる。利用料は1カ月3万円となっている。

「オーダーメイドツアー」は移住を検討している希望者に、ニーズに合わせた町内ツアーを町が提案し実施するもの。住みたいエリアをガイドしつつ空き家を案内し、希望者に応じて、公共施設や先輩移住者をマッチングする。

農業体験や窯業など、具体的な就業の希望があれば、かなり即応的なツアーを組むことが可能になる。

益子町には、市街地ではなくて里山に住みたいという希望者も多いという。

土とクラフトマンシップが益子焼を今に伝えているとすれば、今が旬の農業の世界でも、創作意欲を喚起する環境と風土が里山の自然の中にあるということなのだろう。

※2024年取材時点の情報です

(取材・執筆/坂茂樹 撮影/編集部)

【益子町移住・定住ワンストップサイト】ましこの暮らし|益子町公式ホームページ

栃木県益子町長
広田 茂十郎ひろた もじゅうろう
1955 年、栃木県芳賀郡益子町生まれ。栃木県立真岡農業高等学校卒業後、出身地の益子 町で農業(果樹栽培)に従事し、益子町果樹産地化協議会会長、ましこ農と食の研究会会長、益 子町土地改良区理事を務める。2007 年に益子町議会議員に初当選し、以降4期を務め、町監査委員、町議会議長を歴任。2022 年の益子町長選挙に出馬し、初当選。現在 1 期目。
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